【ミチミノモモオ タマワレバ】
表面的には「たくさん実のなる桃」だが、私は、旅先のニニキネが授けた桃が「ハナミノモモハマレナリ」というほど珍しい桃だったということに不自然さを感じる。それでは、「ミチミノ、ハナミノモモ」とは何だろうか。「ミノ」と「「モモ」に注目すると、万葉集の「百岐年(ももきね)美濃の国の高北の泳(くくり)の宮に…」という歌が浮かんでくる。どの辞書にも「ももきね」は「美濃」にかかる枕詞だが語義・かかり方未詳と書かれている。少々わかりにくいが、これをもとに推理していこう。「ミノ」は万葉歌のとおり「美濃」であろう。本文145に「(ニニキネが)ミノニユキ アマクニタマノ ヨロコビモ」とあるようにアマクニタマがいる所が美濃である。アマクニタマの娘シタテルオグラ姫とアチスキタカヒコネは10綾本文086にあるように結婚している。タカヒコネはその後ステシノタカヒコネとも言われた。「ステ」が付いたということは、オクラ姫は渡来系と考えられる。ということはアマクニタマも渡来系ということになる。さて、10綾本文066には「ムカシナカヤマ ミチトオス カナヤマヒコノ マゴムスメ シタテルオクラ」とある。オクラ姫の祖父がカナヤマヒコであるということは、アマクニタマの親がカナヤマヒコであり、カナヤマヒコは渡来系ということになる。カナヤマヒコは金山神社に祭られているように金属・鉱山・土木など、大陸の技術をもたらした人物でもある。ここからは私の推論になるが、時の政治の中枢と深くかかわった渡来人と言えば、ウケステ姫と結婚したコロビンキミ(シナギミ)であり、それは和名カナヤマヒコではないかと思われる。カナヤマヒコには娘のウリウ姫がいて、ウリウ姫はアマテルカミの13人目の妃となっている。このような関係の中で、ウケステ姫に、ニニキネは広い美濃の土地と、自身のキネも付けた「モモキネ」という名を与えたのではないか。それが息子であるアマクニタマに引き継がれたと考えてみた。15綾解釈ノート164でふれたが、コロビンキミは、「徐福」であり、和名をカナヤマヒコといったと考えている。(新説異説に詳しく書きました。)