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25-000 25ヒコミコトチオヱルノアヤ
ヒコホオデミ尊、鉤を得るの綾
25-001 ミソフスス フソミホツウヱ
三十二スズ、二十三穂、ツウエの年、
25-002 ウツキハツ ワケイカツチノ
訳文四月一日にワケイカヅチの
25-003 アマキミハ フカキオモイノ
天君ニニキネは深く思うところが
25-004 アルニヨリ オオシマオシテ
あり、オオシマに
25-005 アワウミノ ミヅホノミヤオ
近江のミヅホの宮を
25-006 ツクラシム ナレハヒオミテ
造らせた。宮が出来上がったので良い日を選んで
25-007 ウツラント サキニタラチヲ
宮遷しをしようとした。以前父親のオシホミミが
25-008 ヒタルトキ ハコネノホラニ
亡くなった時、箱根の洞に
25-009 イリマスオ ハハチチヒメハ
入られた後、母のチチ姫は
コトアリテ イセニイタリテ
学びたいことがあって、伊勢に行って
【コトアリテ】 13綾本文103で、チチ姫は自分の名前の意味について質問し、本文225にはアマテルカミに仕え、スズカとイセの道を学んだと書かれている。「コト」はそのようなことを指し、ここはその場面。
25-011 ヲンカミニ アサユフツカエ
アマテルカミに朝な夕なに仕え
25-012 マツラシム ソヨロトシヘテ
長い年月が経った。
25-013 イマカレニ ハコネニモフデ
そういうことがあったので、この度ニニキネは箱根に詣で
25-014 ヌサササケ ソレヨリイセニ
幣を奉げてから伊勢に
25-015 ミユキナル ヲンカミオヨビ
行幸された。アマテルカミと
25-016 チチヒメオ オカミテアワノ
母のチチ姫に挨拶をし、その後近江の
25-017 ミツホクニ ミヤウツシナル
ミヅホの国に宮遷しした。
25-018 ムメヒトハ ハラニトドマリ
ムメヒトはハラ朝間宮に留まり
25-019 マツリコト コヤネアツカリ
政をした。アマノコヤネが左の臣を任され、
25-020 モノヌシハ トモナスユエニ
大物主はニニキネの供をするので
25-021 ミゾクイオ ソエモノヌシト
ミゾクイが副物主として
25-022 ハラノモリ ニハリニイマス
ハラ朝間宮を守った。新治の宮にいる
25-023 スセリミヤ ムカシノアトニ
スセリは、ニニキネが昔の宮の跡に
25-024 イマツクル ウカワノミヤニ
新しく建てた鵜川の宮へ
25-025 ウツリマス フタアレスソノ
宮遷しをした。二荒山の裾野の
25-026 ウツミヤハ オオツシノミヤ
ウツキネもまた、新たに作った大津のシノ宮を
25-027 イマツクリ コレタマワリテ
ニニキネから賜って
ウツリマス トキニイミナノ
宮遷しをした。ところがウツキネは、自分の諱に
【イミナノ ユエアレハ ウカワオコエド】 24綾本文131で、ニニキネが鵜川の仮宮に行くとき卯の花を飾ったこととウツキネの「ウツキ(卯)」が関係あるということ。
25-029 ユエアレハ ウカワオコエド
関係があるので鵜川の宮に行きたいと、ニニキネに願ったが
25-030 ユルサレズ ツネニカリシテ
許されなかった。ウツキネはいつも狩りをして
25-031 タノシメバ ヤマサチヒコト
楽しんでいたので山幸彦と呼ばれた。
25-032 マタスセリ ツリタノシメバ
また、スセリは釣りを楽しんでいたので
25-033 サチヒコト キミハミヅカラ
海幸彦と呼ばれた。ニニキネは自ら
25-034 ミカリナス ニシナカクニノ
巡行して西中国の
ヤマオモテ イセキツツミニ
山表に井堰や堤を築いて
【ヤマオモテ】 山陽地方。
25-036 アラタナス ニシニイタリテ
新田を拓いた。その後また西の国に行き、
25-037 ハケヤマオ トエバアレオサ
そこではげ山を見たニニキネが、「あの山は何だ」と聞くと、村長が
アキトイフ キノアルナニテ
「アキ」ですといった。「アキ(有木)という名前なのに
【アキトイフ】 ニニキネの質問は「どうしてはげ山になったのか」と聞いたのだが、村長は山の名前を聞かれたと思い(通称?の)「アキ」(仕事がない山)と答えた。
ナキイカン コレオロチアリ
木が無いのはどうしてなのか」と問うと、「昔ここに大蛇がいました。
【コレオロチアリ】 「オロチ」はこの山を根城とし、娘をさらうようなこともした無法者。
25-040 クニカミノ ヒメオノムユエ
国守の娘を飲んでしまったので
25-041 ミナヤケバ ニゲテヒカワニ
山の木をみんな焼きました。それでも大蛇はヒ川に
25-042 キラレケリ シカレトヤマハ
逃げ、そこで斬られました。しかし、山は
25-043 カブロナリ イマニキコリノ
はげ山になってしまったのです。今も樵の
25-044 イトマアキ アマギミエミテ
仕事さえありません」と村長は嘆いた。ニニキネは微笑んで
25-045 ナゲクナト アカツチカミニ
「嘆かなくてもよろしい」と国守のアカツチに
25-046 コレヲシヱ ヒスギノタネオ
桧や杉を植えることを教え、その種を
25-047 ウヱサシム トトセニナリテ
植えさせた。十年経って
25-048 ミネコモル タミツモタエズ
山は木が繁り、田の水も絶えることなく
25-049 クニユタカ マタヤマカゲモ
国が豊かになった。また、ニニキネは山陰の方も
25-050 ミメクリテ トコロトコロニ
見て巡られた。所々に
25-051 イセキナシ タカタヒラキテ
井堰を築き高地に田を拓いて後、
25-052 カエリマス ユタカナルトシ
瑞穂の宮に帰られた。それから豊かな年が
25-053 ミヨロヘル トキニツクシノ
長く続いた。ある時筑紫では国が
25-054 ヲサマラテ ミコミクタリオ
治まらなくなったので、皇子の行幸を