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25-210 クニユタカ コトシウエツケ
国は豊かになり、この年は田植えの後
25-211 テレドヨシ ウサノアカタニ
日照りが続いたが豊作だった。ウツキネは宇佐の県に
ハヤラセテ サツキノモチノ
五月の望の日の
【サツキノモチノ ハルイワイ】 田植え初めに田の神を迎える祭りではないか。
25-213 ハルイワイ モチニハヱシキ
春祝いを広めた。餅にシダを敷いて
ウケカミニ イハウホナガト
保食神に豊作を願い
【ホナガ】 広辞苑には、「5月、田植えの際の飯を炊く薪。普通の薪よりも長く切る。この薪は正月初山入の日に採取するので、その日も『ほなが』と呼び、また当日の山の神祭の名とする地方もある」とあるが、ここでは穂が長く実ること、すなわち「豊作」と解釈した。
ユツリハノ ホツマアソビノ
ゆずり葉を飾り、開拓の引き継ぎが完成したことを祝い、ホツマの楽しみの
【ユツリハノ】 ゆずり葉は正月の飾りに今も残っている。ここでもゆずり葉を飾ったのだろうが、真の意味は、解釈ノート125で書いた「ニニキネの新田開拓の引き継ぎ」(譲り地(ユズリハ))にあるとみる。
25-216 ミヅホウタ タノシニキハフ
瑞穂歌を歌った。人々は楽しく暮らし
25-217 トヨノクニ ミソフノアガタ
豊かな国になった。その後三十二県の
ミナハヤル カドマツハエバ
全てに春祝いがはやった。門松を飾り、シダや
【カドマツハエバ ユツリハモ ハルシキカザル】 この時代の春祝いは「サツキノモチ」(5月の望の日)に行われていたようだが、いつの時代に正月の行事となったのであろうか。
25-219 ユツリハモ ハルシキカザル
ユズリ葉も春祝いに敷いて飾る
25-220 モトオリヤ トヨニキハイテ
起源となった。豊かに賑わうようになって
25-221 ムヨロトシ ヘテモアソクニ
何年も経ったが、阿蘇国は
25-222 マダコエズ カレミヤツクリ
まだ田が痩せたままだった。そこで、ウツキネは阿蘇に宮を造り
25-223 ウツリマス ハオカンガエテ
移り住んだ。地味を考え、
25-224 カゾミネノ カゾウオイレテ
山のように積み上げたたくさんの魚を入れ
タオコヤシ カゲロウノヒノ
田を肥やした。陽炎が立つ火の
【カゲロウノヒノ コエクニ】 「カゲロウノヒノ」は阿蘇を指し「コエクニ」は阿蘇山を越えた所、すなわち阿蘇国の一部もしくは近隣の所ではないか。娘のアソ姫をウツキネの内妃にしたのも、タケイワタツが阿蘇の開拓と深い関係があったからではないか。阿蘇はまだ田が痩せていた時だから「コエクニ」を「肥国」(後の肥後)とは訳せない。
25-226 コエクニノ タケイワタツハ
コエ国のタケイワタツが
クツオアゲ アソヒメユナニ
宮に上り、アソ姫を湯女にと
【クツオアゲ】 「クツ」は和語としては「沓」の他思いつかない。「アゲ」は上げるか。それが何を意味するかは不明。「沓を差し上げる」なのか、「(沓を脱いで)宮に上る」というようなことなのか、それとも全く別の意味なのだろうか。
25-228 タテマツル キミメシアゲテ
申し出た。ウツキネはアソ姫を召し上げて
25-229 ウチキサキ ココニモムヨロ
内妃とした。ここでも長い間
トシオヘテ シガノカミダハ
過ごしたが、志賀の田は
【シガ】 福岡県の海ノ中道の先に志賀島があるが、江戸時代の国郡全図で見ると、かつては海ノ中道も志賀であった。またその一帯は志賀も含めて糟屋郡であった。
25-231 マダミテズ ツクシノミヤニ
まだ不十分だったので、筑紫の宮に
25-232 ウツリマス ハオカンガエテ
移られた。地味を考え、
25-233 アブラカス イレテカスヤノ
油粕を入れたので、糟谷の地は
25-234 ハニミツル ソノホカミソノ
全て豊かになった。その他の三十か所の守が
25-235 マネクユエ メグリカンガエ
行幸を願ったので、巡り歩くことを考え
25-236 ツクシミヤ ユタカニコエテ
筑紫の宮に留まり、次第にそれらの土地も豊かに肥えて
25-237 タミヤスク ココニモムヨロ
民は安心して暮らせるようになった。ここでも長い
25-238 トシオヘテ ミススノアイタ
年月が経って、三スズの間
25-239 シバラクモ ヤスマデタミオ
少しも休まずに民を
25-240 タスユエニ キサキツボネモ
治めたので、妃も局も
25-241 ミコウマス カレコレオボシ
皇子を産まなかった。そこで、世継ぎのことを考えて
25-242 ミヤステテ ウドニイタレバ
筑紫の宮を出て鵜戸に行くと
25-243 ハデカミノ マネクカコシマ
ハデスミが鹿児島へ招いたが
25-244 ユキマサズ キサキハチチニ
行かなかった。后のトヨタマ姫は、父のハデスミに
コレオツグ ハデカミウトニ
事情を伝えた。ハデスミがウツキネに
【ウトニモウサク】 「ウト」はウツキネが鵜戸の仮宮に住んでいたから。
25-246 モフサクハ キミタノサズヤ
申し上げた。「君は、お楽しみはなさらないのですか」
25-247 シカラスゾ ツボネハアレト
「そんなことはない。局はいるが、
25-248 コオウマズ カレニステオキ
子どもが産まれないのだ。だから局はそこに留めて
25-249 タタヒトリ ツレテシバラク
ただ一人トヨタマ姫と一緒に、当分
25-250 ココニアリ ツクシノタミオ
ここにいようと思う。我は筑紫の民のことが
25-251 オモフハカリゾ      
ただ思われるのだ」とウツキネは話された。