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29-209 キミニイフ ムカシアマテル
皇に言った。「昔、アマテル
29-210 カミノミコ イワフネニノリ
カミの御孫(アスカホノアカリ)がはるばる磐船に乗って
29-211 アマクダリ アスカニテラス
遷都され、飛鳥を治められた。
29-212 ニギハヤヒ イトミカシヤオ
その御養子ニギハヤヒ君が我が妹のミカシヤを
29-213 キサキトシ ウムミコノナモ
后とされ、生まれた御子の名は
29-214 ウマシマチ ワガキミハコレ
ウマシマチ命である。我が君はこの方である。
29-215 ニギハヤヒ アマテルカミノ
ニギハヤヒ尊は、アマテルカミの
29-216 カンタカラ トグサオサヅク
神宝の十種宝をウマシマチの尊に授けられたのだ。
29-217 アニホカニ カミノミマコト
なぜ、他にアマテルカミの子孫がいると
29-218 イツハリテ クニウバハンヤ
偽って国を奪おうとするのだ。
29-219 コレイカン トキニスメラギ
これはどういうことだ」すると皇が
29-220 コタエイフ ナンチガキミモ
答えた。「汝の君も
29-221 マコトナラ シルシアランゾ
正統だと言うならば、証拠があるはずだ」
ナガスネガ キミノユキヨリ
ナガスネヒコが、ウマシマチの靫より
【ユキ】 「靫」。矢を入れて携帯する容器。矢筒。
ハハヤテオ アメニシメセバ
羽々矢を取り、皇に示すと
【ハハヤテオ】 2行後の「ハハヤ」とともに、御璽が記されている羽々矢。27綾本文357にある「シラヤノヲシテ」と同じものと思われる。この矢が2本あるのは、アスカヲキミ(ホノアカリ)とハラヲキミ(ニニキネ)の二人が君として両立していたことによる。ホノアカリからはニギハヤヒ、ウマシマチと継がれ、ニニキネからはホオデミ、ウガヤフキアワセズ、カンヤマトイハワレヒコ(タケヒト)と継がれた。
29-224 カンヲシテ マタスメラギモ
神璽が記されていた。また皇も
29-225 カチユキノ イダスハハヤノ
歩靫より取りだした羽々矢の
29-226 カンヲシテ ナガスネヒコニ
神璽をナガスネヒコに
29-227 シメサシム ススマヌイクサ
見させた。戦いは
マモリイル ネンコロオシル
膠着状態になった。事の詳細を悟った
【ネンゴロオシル ニギハヤヒ】 「ネンゴロ」は「親しいさま、心のこもっているさま」のような用法が多いが、広辞苑に「念入りにするさま、詳細」ともある。ここでは、自分が正統だという証拠があると思っていたが、タケヒトにも同じように証拠があるということを目の当たりにして、「ニギハヤヒ」が事の詳細を悟ったのだと考えた。そうすると、ここにはいない「ニギハヤヒ」が事の詳細を悟ることになってしまうので、ウマシマチは親の「ニギハヤヒ」の名を継いでいると解釈した。資料として信憑性に欠くところはあるが、物部系の先代旧事本紀巻第五に、ニギハヤヒはウマシマチが生まれるのと前後して亡くなったように書かれている。
29-229 ニギハヤヒ ワガナガスネガ
ニギハヤヒ(ウマシマチ)は、家臣ナガスネヒコの
29-230 ウマレツキ アメツチワカヌ
生まれついての分別のない
カタクナオ キリテモロヒキ
頑なさを糺して、みなを率いて
【カタクナオ キリテ】 「キリテ」を、自分のために精一杯頑張っているナガスネヒコを切った(殺した)とすると、ニギハヤヒはあまりにも理不尽。ここでは悪いものは悪いと断じてナガスネヒコを糺したと考えたい。
29-232 マツロエバ キミハモトヨリ
タケヒトに従った。皇は言うまでもなく
29-233 クニテルノ マメオウツシミ
クニテル(ニギハヤヒ)の忠誠心を見た思いだった。
イワワレノ コヤニベオネリ
そして磐余の仮屋に軍を率いて行き、
【イワワレノ コヤニベオネリ】 「ベ」は物部。兵のこと。「ネリ」は練り歩く。隊伍を組んで行進する。
29-235 トシコエテ コセノホフリヤ
そこで年を越した。巨勢の祝主や
29-236 ソフトベト ヰノホフリラモ
ソフのトベとヰの祝主達の
ツチクモノ アミハルモノオ
土蜘蛛が待ち構えているのを
【ツチクモ】 タケヒトに刃向かう部族。ホツマツタヱによくある比喩的表現として敵をこのように呼んだ。
29-238 ミナコロス タカオハリヘガ
全て退治した。タカオワリ部は
29-239 セヒヒクテ アシナガクモノ
背が低いので、足長蜘蛛が
29-240 オオチカラ イワキオフリテ
怪力で岩や木を振り回して
29-241 ヨセツケズ タガノミヤモル
手が出せなかった。多賀の宮を守っている
29-242 ウモノヌシ クシミカタマニ
大物主のクシミカタマに
29-243 ミコトノリ モノヌシカガエ
君が足長蜘蛛を退治するように命じた。大物主は熟慮の末
29-244 クズアミオ ユヒカフラセテ
葛の蔓で編んだ網を使って捕え
29-245 ヤヤコロス スヘヲサマレバ
やっと退治できた。全ての戦いが収まって
29-246 ツクシヨリ ノホルタネコト
筑紫から上ってきたアメタネコと
29-247 モノヌシニ ミヤコウツサン
大物主に、皇が「都を遷そうと思う。
29-248 クニミヨト ミコトオウケテ
ふさわしい所を見つけよ」と命じた。二人は皇の命を受けて
29-249 メクリミル カシハラヨシト
国々を巡って探し、「橿原がよいでしょう」と
29-250 モフストキ キミモヲモヒハ
申し上げた。皇も「思いは
29-251 オナシクト アメトミオシテ
同じだ」と言われ、アメトミに
29-252 ミヤツクリ キサキタテント
宮を造らせた。皇が「后を娶ろうと思う」と
29-253 モロニトフ ウサツガモフス
諸臣に言った。ウサツヒコが申し上げた。
29-254 コトシロガ タマクシトウム
「事代主とタマクシ姫との間に生まれた
29-255 ヒメタタラ ヰソススヒメハ
姫、タタラヰソスス姫は
29-256 クニノイロ アワミヤニマス
国一番の美しい人で、アワ宮におられます。
29-257 コレヨケン スメラギヱミテ
この方がよいのではないでしょうか」皇も喜んで
29-258 キサキトス コトシロヌシオ
タタラヰソスス姫を后にされた。姫の父の事代主を
ヱミスカミ マゴノクシネオ
ヱミス神として祭り、事代主の孫のアタツクシネを
【ヱミスカミ】 姫の父の事代主はヤヱ事代主ツミハ。10綾103以降に書かれている、ツミハの祖父の事代主(クシヒコ)がその父の処遇について「ヱミスガホ」で見事に対応したことから「ヱミスカミ」と呼ばれ、それ以来代々「ヱミスカミ」と呼ばれてきたのではないか。
29-260 アガタヌシ ヤシロツクラセ
県主とした。社を造らせ