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① 魏志倭人伝に「其地無牛馬虎豹羊鵲」と書かれている。
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② 古墳時代の遺跡から馬具や馬の埴輪が出土しているので、この頃渡来人と共に大陸から渡ってきた。
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③ 貝塚から馬の骨や歯が出土したことはあるが、現代の年代測定法によると、後代の骨が混入したものである。
ところが定説に反して、ホツマツタヱには以下のように「馬」が度々出てくるのです。(数字)は本文の行番号です。
まず18綾に、これはまさに神話として、「ウツロヰオムマ(アメミヲヤがウツロイ《雷の神》を馬とする)」(027)と出てきます。これはこの時代に「馬」の存在を認識していたことを示します。そして、「ツノアルナキノ ケタモノオ ノリムマケレバ ムマトナシ ノリウシケレバ ウシオシテ」(068)と、角の有無と乗りやすさの違いで馬と牛を区別しています。牛については「タノアラスキヤ ニモツモノ(田の荒鋤や荷物を運ばせる)」(069)と、使途を示しています。
19綾は全編「馬」についてです。基本的な乗馬について「ムマノミキヨリ フミノホリ(馬の右より鐙に足をかけて乗ります)」(016)とか、「ムマノアシドリ イキスアヒ アハスカナメノ ノリノリゾ(馬の足取りと自分の呼吸を合わせることが肝要で、これが馬の乗り方の基本です)」(021)と、現代の乗馬術とほぼかわらないことが書かれています。
馬の扱いについても、「ムマクルワセヌ ワガココロ ヒトツラヌキノ タヅナヒク(馬を失敗させまいとする自分の心と繋がっている手綱を引く)」(049)、「ツナツヨケレバ ムマトバズ(手綱を強く引きすぎると馬は飛び越しません)」(053)などと詳しく書かれています。
また、「ツクシノムマハ スコヤカニ(筑紫の馬は丈夫)」(122)、「ミナミノムマハ チイサクテ(南の馬は小さい)」(129)など、土地による馬の特徴や「ムマモチユルハ イナムシカ ヒミヅノナセル ワザハイモ ハヤノリナシテ ノゾクナリ(馬を使えば稲虫の害や火事、大水などの災いも、馬で早く駆けつけて除くことができます)」(136)、「ミナノリムマデ マモリユク(みな馬に乗ってクシタマホノアカリを守って行った)」(20綾063)などと、馬がいろいろな場面で使われていることも書かれています。
直接「ムマ」という言葉は出てきませんが、手綱さばきを『ヒトヌキの間』と呼ぶことについて、次のように書いてあります。「ウツロクツワヤ クニタマオ ヒトヌキノヲト ココロヱバ タトヒハスレド ノリオチズ ムマクルワセヌ ワガココロ ヒトツラヌキノ タヅナヒク アルジノママト ナルモノゾ(馬の轡と大地は一繋がりの紐と心得れば、例え失敗しても落馬することはありません。馬を失敗させまいとする自分の心と繋がっている手綱を引くと、馬は主の意のままとなるものなのです。)」(045)。私もびっくりするくらい、乗馬については今日も使われている用語がたくさんでてきますが、乗り手と馬と大地は手綱を通して一貫きになっているという思想の『ヒトヌキの間』という言葉は聞いたことがありません。すばらしい言葉だと思いませんか。私は乗馬用語には不案内なので『ヒトヌキの間』に関する言葉があったら、是非お教えください。
しつこいように引用を並べましたが、牛が民の生活に使われていたこと、馬は臣以上の社会で使われていたこと、そして乗馬術がすでにできていたことなどが、ホツマツタヱに数多く書かれているのです。
・・・・・平成28年12月20日