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ウミノナモ キハヤマナカト
その湖の名は、東は山中湖、
【ウミノナモ】 山中湖からスト湖までの八湖に井堰を造り、水を引いたのであろう。現在の富士五湖ができた時代は西暦800年から860年と言われているので、古山中湖があったと言われるように、現在ある山中湖、河口湖、本栖湖もこの時代のものとは規模や位置が違うのではないか。
24-156 キネハアス ネハカハクチト
東北はアス湖、北は川口湖、
24-157 ネツモトス ツハニシノウミ
北西は本栖湖、西は西の湖、
24-158 ツサキヨミ サハシビレウミ
西南はキヨミ湖、南はシビレ湖、
24-159 キサハスド ニハリノタミガ
東南はスト湖である。新治の民が
24-160 ムレキタリ ウミホリツチオ
大勢やってきて、それぞれの湖の土を持ち寄り
ミネニアゲ ヤブサハカリト
小山を造った。ハラミ山の八峰のようにして
【ミネニアゲ】 富士山頂まで儀式用の土を運んだとも考えたが、このあとに「ナカノワモガナ」とあり、実際の富士山頂の噴火口に土を盛ることは不可能なので、富士山を模した儀式用の小山を造ったと解釈した。
【ヤブサハカリト アニコタエ】 「ヤフサ」は八房飾りとも富士八峰とも考えられるが、話のつながりから「八峰」とした。「ハカリ」は「~程の」と解釈した。さらに八峰だけでなく、一大事業の成功を願い、より天の神に近づけるように、真ん中にも峰を造ろうとしたのではないか。
24-162 アニコタエ ナカノワモガナ
天に願いが届くようにし、真中の峰も欲しいものだと考えて、
ウツロヰガ アワウミサラエ
ウツロヰがアワ湖(琵琶湖)の土を浚い
【ウツロヰガ アワウミサラエ】 「ウツロヰ」は21綾本文230で、新治の宮での騒動の末、ニニキネより「ウツロヰノヲマサギミ」と名を与えられた者。新治の民と共にやってきたのであろう。どの程度の土を運んだのかは分からないが、ウツロヰ達が運んだのは儀式に用いる程度ではないか。
24-164 ミオノワト ヒトニナイキテ
三尾の土を担いで運び、
24-165 アサノマニ ナカミネナセバ
短期間のうちに真中の峰を造り上げた。
カミノナモ ヰヅアサマミネ
そこに祭った神の名を厳朝間峰の神とした。
【ヰヅアサマミネ】 「アサマ」は富士山麓にある浅間神社となったのであろうが、ここでは「朝の間」に造ったということから、敢えて「朝間」と訳した。
24-167 ヤマタカク ミツウミフカク
山は高く、湖は深く
24-168 ナラビナシ ミネニフルユキ
他に並ぶ所はない。ハラミ山の峰に降る雪は
24-169 イケミヅノ スエコチサトノ
湖の水となり、流れの末は多くの里の
24-170 タトナリテ オヨブミヨタミ
田となって、あまたの民を潤した。
24-171 ハタトシニ サラエナセトテ
「二十年毎に井堰を浚え」と言って
24-172 サカオリノ ミヤニイリマス
ニニキネは酒折りの宮に入った。
24-173 アツカリノ オオヤマスミガ
酒折りの宮の留守をあずかっていたオオヤマスミが
24-174 ミアエナス ミカシハササグ
宴を開いた。御膳を差し上げた
24-175 アシツヒメ ヒトヨメサレテ
アシツ姫をニニキネは一夜召して
24-176 チキリコム カエルニハリニ
妻とした。ニニキネは新治の宮に帰って
24-177 ユキスキノ ミヤニイノリノ
ユキ宮スキ宮を建てて祈り
24-178 オオナメヱ ミクサノウケオ
大嘗祭を行った。三種の宝を引き継いだことを
24-179 アニコタエ ミヤニヲサムル
天の神に告げ、三種の宝を宮に納めた。
24-180 ソノカサリ カグヤハタアリ
その飾りは香久の木と八幡であった。
24-181 ソノアスハ オオンタカラニ
その次の日には民に
24-182 オカマシム コヤネカシマニ
即位した姿を拝謁させた。アマノコヤネは鹿島で
24-183 トシコユル モノヌシヒトリ
年を越した。大物主のコモリは一人で
24-184 ヒタカミノ イセキナシナシ
日高見の井堰を造りながら、
24-185 ヒスミマテ オオヂヨロコビ
日隅に行った。祖父のオホナムチは喜び
24-186 ソノチチガ ヤマトノカミト
「汝の父クシヒコが大和で亡くなった
24-187 ナリテノチ マコニアイタク
後、孫の汝に会いたく思いながらも
24-188 トシヨルト テツカラミアエ
歳をとってしまった」と言って自ら宴を催した。
24-189 モノヌシモ ヨロコビイワク
大物主も喜んで言った。
ワガキミノ ヤマオヤフサノ
「我が君はハラミ山の八峰より流れる
【ヤマオヤフサノ ヰユキナス】 分かりにくい表現だが、「ヤフサノヰユキ」を「富士山に積もった雪がとけて流れる水」と解釈して意訳をした。その壮大な仕事にオオナムチは驚いたのだろう。
24-191 ヰユキナス オオヂオドロキ
雪の水で田を拓きました」オホナムチは驚いて
24-192 ワレタトヒ アラタナストモ
「我は同じように、新田を拓いてきたけれど、
コケシラス キミハマコトノ
このようなことは知らなかった。ニニキネ尊は真に
【コケシラス】 「コケ」の意味不詳。他の写本に「コレ」とあるのでそれを採用する。
24-194 テラスカミ ヨヨノミヲヤゾ
世の中を良くする君である。君は末々までもの御親である。
24-195 マメナセト クニサカイマデ
ニニキネ尊によく尽くしなさい」と言って、国境まで
24-196 オクリテゾ ナゴリアルナリ
送っていき、名残りを惜しんだ。
24-197 モノヌシハ ウミベオニシニ
大物主は海伝いに西の方へ
24-198 メグリツツ サシヱニアラタ
巡りながら、工事の絵図を作り、新田を
24-199 オコサシム サドニワタリテ
造らせた。佐渡にも渡って
24-200 アラタナス コシニモドリテ
新田を造り、また越の国に戻って
24-201 イセキナスカナ      
井堰を造った。
24-202 トキニキミ オボスコトアリ
さて、ニニキネは思うことがあり
24-203 コヤネシテ ニハリニトトメ
アマノコヤネを新治の宮に残して
24-204 カツテシテ ウミベオノボル
カツテに、海沿いの道を行く
24-205 ミユキフレ オオヤマスミハ
行幸の触れを出させた。オオヤマスミは
24-206 ヰツサキノ カリヤニムカエ
伊豆の岬の仮宮にニニキネをお迎えし
24-207 ミアエナス カシハナストキ
宴を催した。御膳を差し上げている時