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24-264 ウタミソメ オキヒコオシテ
書きしたため、オキヒコを
24-265 サオシカド ヒメイタタキテ
勅使として行かせた。姫が受け取り読んだ。
24-266 オキツモハ ヘニハヨレドモ
「沖に浮く藻は、舳先まで寄ってくのに(吾は興津にいて姫のすぐそばなのに)
24-267 サネトコモ アタワヌカモヨ
休む所もない鴨よ、(一緒に寝ることもままならず鴨船にいるよ)
24-268 ハマツチトリヨ      
浜の千鳥よ、(わたしの想いを伝えておくれ)」。
24-269 コノウタニ ウラミノナンタ
この歌を読んで、アシツ姫は恨みの涙が
24-270 トケオチテ キモニコタエノ
解け落ち、君の想いに強く感銘を受けて
カチハダシ スソノハシリテ
宮を裸足で飛び出した。裾野を走って
【スソノハシリテ オキツハマ】 酒折の宮は現在も甲府市にあり、興津は静岡市にある。裾野は裾野市とすると、富士山のすそ野をぐるりと回ったことになる。裸足で走っていける距離では到底ない。誇張と省略がある。訳者は、裸足で飛び出した姫を家臣が輿にのせて連れて行ったのだと想像する。だから輿を並べて戻れたのであろう。
24-272 オキツハマ キミヨロコビテ
興津の浜までとんで行った。ニニキネは喜んで
コシナラベ ユクオオミヤハ
輿を並べて大宮に向かえば
【オオミヤ】 酒折の宮と解釈する。ニニキネがアシツ姫と一緒に過ごし、アシツ姫が飛び出した所に戻ると考えれば酒折の宮であろう。
24-274 ヤマスミノ ミチムカエシテ
オオヤマスミが途中まで出迎え
ミトコロニ スワガミアエハ
三か所で宴を開き、スワが宴を
【ミトコロ】 「御所」(酒折の宮)か「三所」か。「 」は数詞ではないので三か所と訳すのは無理があるかもしれないが、同じようなところで酒折の宮を大宮と言ったり御所と言ったりするというのもどうだろうか。ニニキネと再会したのが静岡の興津の浜、最終的に輿で入ったのが甲府の酒折の宮。かなりの距離でこの位置関係では、三か所くらいの宴があってもおかしくないだろう。スワの宴はそのうちの1回なのか別なのかまでは分からない。
24-276 スバシリデ サカオリミヤニ
スバシリで催した。ニニキネは酒折の宮に
24-277 イリマシテ モロカミキケヨ
入り、臣たちに話した。「臣達よ、話を聞きなさい。
24-278 ワレサキニ ハナオカザシテ
吾は先に、花を頭に飾って
24-279 カゲトホル コレヱナノアヤ
その下を通って来た。これが胞衣の模様になった。
24-280 イミナナス ハツニデルナハ
それに因んで諱をつけた。初めに室から出てきた子の名は
24-281 ホノアカリ イミナムメヒト
ホノアカリ、諱はムメヒト。
24-282 ツギノコハ ナモホノススミ
次の子の名はホノススミ、
24-283 サクラギゾ スエハナモヒコ
諱はサクラギとした。末の子の名はヒコ
24-284 ホオテミノ イミナウツギネ
ホオデミ、諱はウツギネとした。
24-285 マタヒメハ コオウムヒヨリ
また、アシツ姫は、子を産んだ日から
24-286 ハナタエス ユエニコノハナ
桜の花が絶えなかったので、コノハナ
24-287 サクヤヒメ ミヤツクリシテ
サクヤ姫とする」。そして宮を造って
24-288 オワシマス ナツメノカミガ
住まわれた。養育係が
24-289 ウブキナス ハハノチオモテ
うぶ着を作った。コノハナサクヤ姫は皇子を母乳で
24-290 ヒタシマス コヤスノカミゾ
育てたので子安の神と称えられた。
ヒトナリニ サクラギカニノ
成長してから、サクラギは膿のたまる
【カニノクサ】 「カニ」は語義不明。膿やかさぶたとすると意味が通じるが確証はない。「クサ」はできもの、湿疹などの総称。ハシカか疱瘡か?
24-292 クサナセバ スセリグサニテ
できものができたが、スセリ草で
24-293 カニハキテ クサカレイユル
膿が出て、できものはなくなり治ったので
ナモスセリ カレシラヒゲノ
スセリと呼ばれた。後にシラヒゲの
【カレシラヒゲノ スセリモテ】 「スセリ草」の根が白鬚状になっていたので「シラヒゲノスセリ」と呼んだのではないか。26綾本文040から46で、ウガヤの病気をスセリはスセリ草で治したので、ホオデミから「シラヒゲカミ」という称号を与えられた。スセリは大勢の民の病気を治し、人々はその宮を「シラヒゲの宮」と呼んだのではないかと考え、宮の名を「シラヒゲの宮」とした。
24-295 スセリモテ タミヨミカエル
スセリ草で、民の病を治して
24-296 マモリトテ ハタキテウクル
民の守り神となった。大勢が来て治療を受けた
24-297 ミヤヰコレカナ      
シラヒゲの宮はこれである。
24-298 ソノノチニ キミコノヤマニ
その後、ニニキネはハラミ山に
24-299 ノボリミテ ナカゴヤスメリ
登って景色を眺め、心を休めた。
24-300 ヤツミネニ ヰユキタエネバ
八つ峰に積もる雪が消えることがないので、
24-301 ヨヨノナモ トヨヰユキヤマ
後々まで「豊居雪山」と呼ぶことにした。
コノシロノ タツノタツタノ
コノシロ池に住む竜のタツタ
【コノシロ】 春、富士山頂の雪が解け始めると、山頂に池が出現し、コノシロ池と呼ばれているが、このコノシロ池はそれとは違うだろう。その池に竜が住むと信じられていたのであろう。
24-303 カミノコト コノシロイケノ
神の子と言われているコノシロ池の
ミヤコトリ ラハナナクレバ
都鳥はハラミ草の花を投げると
【ミヤコドリ】 この鳥は水鳥ではなく池の周りにいる鳥。「都鳥」は伊勢物語に「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」とあり、ユリカモメではないかと言われているが、このように池の周りにいて、草を食べる鳥ではない。鳥襷の模様に描かれているのは尾長鶏と言わる。池の周りにいるとすれば、尾長鶏などの鶏の類ではないかと考える。
【ラハナ】 この後にハラミ山に生えている薬草について書かれているので、そのきっかけとして書かれていると考える。とすると、「ラ」は「ハラミ草」の省略ではないか。
24-305 タハムレル トリタスキトテ
戯れる。ニニキネは「鳥襷だ」と言って
ハニイマス コモリヱニナス
草むらの中に居られた。コモリはそれを絵にし、
【ハニイマス】 「マス」は「居る」の尊敬語「居られる」。とすると、主語はニニキネとなる。ニニキネのいた所は「 」なので「葉」、すなわち草の葉の茂る中という意味であろう。
チヨミクサ ミハモニシミテ
千代見草で御衣裳を染めて
【ミハモニシミテ サマウツス】 「ミハモニシミテ」は千代見草で草木染をしたと解釈した。その色が次項のヤマハト色なのではないか。「サマウツス」はコモリが描いた都鳥の戯れ飛ぶ様子を「鳥襷」の模様にしたことと考えた。
24-308 サマウツス ママニマツリオ
鳥襷の模様にした。それを着て政を
24-309 キコシメス コノアキミヅホ
執り行うと、その年の秋には稲が
チカラナス カレヤマハトノ
たくさん実った。故にこれをヤマハトの
【ヤマハト】 山鳩色という鈍い黄緑色の染め色の名。禁色の一つで、主として天皇の衣服の色とされる。この話の筋から考えると「山葉留」と書くとよいかもしれない。
24-311 ミハトナス アヤニハオトメ
衣裳と名付けた。綾に千代見草の葉の色を使い
24-312 オルニシキ オオナメマツル
織った錦織が、大嘗祭を行う時の