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カグツチト ミツハメオウム
火の神のカグツチと水の神のミツハメを祭った
【カグツチト ミツハメオウム】 26綾本文170にも「ツチイカス」とあるように、その後の水田開拓の様子から、天災の脅威を鎮めるという願いと、雨水が水田の用水として順調にもたらされることも願ったのだろう。
アオヒハト カツラニイセノ
ニニキネにアマテルカミが
【アオヒハト カツラニ】 「アオイハトカツラ」はニニキネを指す。26綾本文107以降にニニキネと「アオイ」「カツラ」の関わりが書かれている。
24-410 ミコトノリ アメハフリテリ
詔を下された。「天候が
24-411 マツタキハ イカツチワケテ
順調に回るのも、雷を分けて
24-412 カミオウム コレトコタチノ
カグツチの神とミズハメの神として祭ったことによる。これは国常立に
24-413 サラノヰヅ ワケイカツチノ
勝るほどの偉業である」と、ワケイカツチノ
24-414 アマキミト ヲシテタマワル
アマキミという称号を授けた。
ヒロサワオ オオタニホラセ
ニニキネは広沢をオオタに掘らせ
【ヒロサワ】 京都市右京区嵯峨野にある広沢の池と思われる。この辺りを開墾した秦氏一族が溜池として造ったという説もあるということである。
24-416 クニトナス アマネクトフル
クニを造った。クニの隅々まで
ホツマブリ タノシミウタフ
ホツマの慣わしが行き渡り、民はその楽しさを讃えた。
【ホツマブリ】 生活全般にわたるニニキネの教えが浸透した。
24-418 ツガルニハ ヌマホリアゲテ
津軽では、オホナムチが沼を掘り上げて
タミツウム アソヘノオカノ
水田用の溜池を造り、アソベの丘の
【アソベノオカノ ヰユキヤマ】 岩木山は古くアソベの森と言われたということである。岩木山の麓がアソベの丘ではないか。
24-420 ヰユキヤマ ナヨサトウミテ
居雪山(岩木山)の麓に広大な農村を拓いた。
カヅシマヤ カヅミネヤマト
津軽には多くの島や山があり
【カズシマ】 「カズ」は数多くあること。
24-422 シマアヒニ カツウオナレハ
島の間でたくさんの魚が多く獲れたので
24-423 コノウオオ アラタニイレテ
この魚を新田に入れて
24-424 ワオコヤス アマノコヤネモ
田の土を肥やした。アマノコヤネも
カスガクニ トブヒノオカニ
カスガ国の飛火野の岡に
【トブヒノオカ】 現在の奈良公園の辺り。
ヤマトカワ ホリテツクレル
大和川から水路を掘って
【ホリテツクレル ミカサヤマ】 まるで大和川を掘った土で三笠山を造ったように読める。確かに三笠山は人工的に作られた山のようだとも言われているが、川を掘ることが目的の時に、そのような山を作っただろうか。私は、造ったのは三笠山の周辺に拓いた農地を言っていると解釈した。
24-427 ミカサヤマ ヰヨノイフキハ
三笠山の麓に農地を拓いた。伊予のイフキは
24-428 アメヤマニ ウツシタオナス
アメヤマに、ニニキネを見習って田を拓いた。
24-429 アスカキミ カグヤマウツシ
アスカヲキミは香久山に宮を移し
24-430 ミヤノナモ ハセカハホリテ
宮の名も香久山の宮とした。ハセ川から水を引いて
24-431 アスカカハ フチオタトナス
アスカ川とし、一帯に田を拓いた。
24-432 スガタヒメ キミニモフサク
スガタ姫がアスカヲキミに言った。
24-433 コレワロシ ムカシクシヒコ
「この遷宮は良くありません。昔、クシヒコが
24-434 イサメシオ アザケルケガレ
諌めたのを聞かないで嘲られ、穢れの
24-435 ミソギナス コレオスツレバ
禊ぎをしたではありませんか。飛鳥の宮を捨ててしまえば
24-436 マタケガレ ナニカミアリト
また穢れてしまいます。なんという君だと言われますよ」と
24-437 イサムレバ カグヤマヲキミ
諌めたが、香久山(アスカ)ヲキミは
24-438 コレキカズ オウナノマツリ
いうことを聞かず、「女が政に口を出すなど
イツコアル ナンチハコノタ
どこにあるのだ。汝は子を産むのが役目だ。
【ナンチハコノタ】 「コノタ」は子どもの田、すなわち子どもを産むためのものだということ。
24-440 コハオエズ ツマニナラヌト
それなのに子どもも生めないではないか。妻とはいえない」と言ったので、
24-441 ケウサリテ トヨマトガメノ
スガタ姫はその日のうちに宮を去った。その後、トヨマドの娘の
24-442 ハツセヒメ ツマトメサルル
ハツセ姫が妻として召された。
24-443 アスカカハ オオヤマスミハ
オオヤマスミはアスカ川を
コレウツシ サカムノオノニ
手本にして相模の小野に
【サカムノオノ】 相模の小野。神奈川県厚木市の小野か。
24-445 アラタナシ カグノキウエテ
新田を拓き、香久の木を植えた。
24-446 マウラカミ ヨヨタチハナノ
マウラが後を継ぎ、代々橘の
24-447 キミトナル キミサカオリノ
君と呼ばれた。ニニキネは酒折の宮の
24-448 ツクルナモ ハラアサマミヤ
名前をハラ朝間宮とした。
24-449 ヨソオヒハ コカネオカザリ
装飾は黄金で飾り、
24-450 タマウテナ ウルシイロトリ
玉で高殿を飾った。漆で彩った
24-451 カケハシノ スベレバユウノ
階段が滑るので、ニニキネは木綿の
タビツケテ カケハシシタフ
足袋をはいた。ニニキネのもとに慕ってくる
【カケハシシタウ タビスガタ】 「カケハシ」は「梯子、階段」と、「双方の関係を取り持つこと」を掛け、「タビスガタ」はニニキネが足袋を履いていることと、新治から来た人々の姿を掛けている。
24-453 タビスガタ ナホユタカニテ
新治からの旅姿の者がいた。一層豊かな年が
24-454 ソヨロトシ ミヅホノボレハ
長く続いて、稲が豊作で
タミヤスク ニワニスムツル
民は安心して暮らすことができた。*田畑の鶴は
【ニワニスムツル・・・ハオハムヨロノ】 唐突に出てきたこの3行をどのように解釈したらよいのだろうか。私は亀卜(カメウラ)の話の前置きと考えた。「ニワ」は「田畑」。鶴は雑食性で穀類や野菜なども食べる。水で濯ぐということも、鷺が泥で汚れた獲物を水に付けて泥を落としているのを見たことがあるので、鶴でもあり得ることと思う。ただ、野草と思われる千代見草の根を洗うようなことをするとは考え難い。亀も雑食性だが、ハオナという植物性の物を食べるかどうかは分からない。「鶴は千年、亀は万年」の考え方がこの時代からあったようで、このような、「縁起物」の亀で占い、民の生活に心を砕くニニキネにつなげたのではないだろうか。
  深読みをすると、次のようにも解釈できるのではないかと思う。
 「ニワ」をこの辺りの農村とし、「ツル」は長寿の人、「イケノカメ」はさらに長生きの人として、「辺りに住んでいる長寿の人は千代見草を水で濯いでその根を食べ、更に長生きの人はハオ菜を食べている」。