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28-304 ムナシサヨ トカクシイワク
哀れに思うのです」戸隠が亡きモチコ姫に言った。
28-305 ナンヂイマ ヒミノホノヲオ
「汝、いま、日に三度の怨念の炎を
28-306 タツベシゾ ワガミケハミテ
断ち切るがよい。我の供える物を食みて
28-307 シタニオレ サカミオモレバ
密かにしておれ。清く身を守れば
28-308 ツミキエテ マタヒトナルト
罪は消えて、また人に生まれ変わることができるぞ」と祭り、
ヲオキレハ ヨホノヲタウノ
怨念の尾を断ち切った。すると長年の怨念が消え、
【ヲオキレハ ヨホノヲタウノ】 ヲ」は「尾」、長く怨念を引きずっていたこと。「ヨホ」は万年、すなわち「長年」。「ヲ、タウ」は怨念を絶えさせる。
ヤマゾハコザキ      
モチコ姫はハコザキの山に祭られた。
【ヤマゾハコザキ】 佐久市大字志賀字宮西に「箱崎諏訪社」という神社がある。祭神はタケミナカタ。ホツマツタヱでは、タケミカツチに負けて諏訪まで逃げてきたのがタケミナカタ。大蛇となったモチコを諏訪まで追いかけて行ったシマツウシとタケミナカタはタケコの子。このような背景があるので、もしかしたらタケミナカタがモチコを祭っていたのではないだろうか。
28-311 コノサキニ タケニウマルル
これ以前に、竹のように真っ直ぐな性格に生まれた
28-312 タケコヒメ タガニモウデテ
タケコ姫が多賀の宮に詣でたとき、
28-313 モノヌシガ タチニオワレハ
大物主の館で亡くなり、
スズキシマ オモムロオサメ
スズキ島に遺骸が葬られ
【スズキシマ】 琵琶湖北部にある竹生島(チクブジマ)。この後の本文にあるように、もともと「スズキ島」と呼ばれていた島が、「タケフカミ」が祭られ「タケフ島」となり、現在は「タケフ」の読みが「チクブ」と変わったのであろうか。竹生島には竹生島神社があり、竹生島弁財天がまつられている。相模の江の島神社、安芸の厳島神社と合わせて日本三大弁天と言われる。
28-315 タケフカミ ムカシサスライ
竹生神として祭られた。昔タケコ姫がさすらっているとき、
28-316 コトオヒク トキニアラレノ
琴を弾いていた。そのとき霰が
28-317 スズキウツ コトニヒビキテ
スズキの葉に当たり、その音が琴の音と響き合って
28-318 タエナレハ コノハオウツシ
妙なる響きになったので、その葉に当たる音を
コトツクル ナモイスキウチ
琴の調べにし、その名を「イスキ打ち」とした。
【コトツクル】 琴を作ったのではなく、琴の曲を作ったと訳した。9綾本文104の「イスキ打ち」は琴の弾き方だが、ここではそれを曲名にしたのだと考える。
28-320 シマウミモ ナハイスキナリ
そこで島も湖も名が「イスキ」と言われるようになった。
28-321 タキコヒメ カクヤマツミノ
タキコ姫はカグヤマツミの
28-322 ツマトナリ カコヤマウミテ
妻となって、カコヤマを産み
28-323 サカムナル ヱノシマカミト
後に亡くなり、相模の江の島神と
28-324 ナリニケル アススミソミホ
なった。アスス暦三十三穂の年
28-325 カスガカミ モモヰソムヨロ
カスガはとても高齢になった。
28-326 フソヰナリ フタヱニイワク
そこでアメフタヱに言った。
28-327 ワカヨハヒ キワマルユエニ
「我は大変年をとったので
28-328 カンオヂオ ナンヂニサヅク
カンヲヂの役目を汝に与えるから
28-329 ツトメトテ ミカサニカエリ
よく励みなさい」と言い、三蓋山に帰り
タラマツリ ナンチオシクモ
父親のココトムスビの御魂を祭った。カスガは「汝オシクモ
【ナンチオシクモ】 「オシクモ」はカスガの子。
28-331 シカトキケ ムカシツカエテ
よく聞きなさい。我は昔ニニキネ尊に仕えて
28-332 ミカガミオ タマエバワレラ
御鏡を賜ったので、我らは
28-333 タノトミゾ ワカコラヤワセ
左の臣である。我が子である民を大切にしなさい。
28-334 タトフレハ ハルハヌルテバ
例えれば、春に芽吹いたヌルデの若葉は、
28-335 ナツアオク モミチハツヨク
夏は青々とし、秋は鮮やかな紅葉となるが
28-336 フユハオツ タトヒオチテモ
冬に葉が落ちるように、例え君に認められない時があっても
28-337 ナウラメソ カゲノマメナセ
君を恨んではいけない。陰でも忠義を尽くしなさい。
28-338 コノメデル ユエハアスカオ
そうすれば木の芽のようにいつかは芽が出るのだ。それは我が飛鳥宮を
28-339 オチタトキ マメオワスレス
辞した時、君への忠義を忘れなかったので、
28-340 コノユエニ ミマコニメサレ
ニニキネ尊に召され、
28-341 マメナセハ ツヒニカガミノ
忠義を尽くしたので、その結果鏡の
28-342 トミトナル マタモノヌシハ
臣となったことから言うのである。また、大物主は
ミギノトミ ハツヨキアキノ
右の臣で、剣の力をもって正義を守るのが
【ハツヨキアキノ ユミツルギ】 武人である剣の臣の形容。「ハ」は刃。「アキ」は23綾本文267以降でアキの剣(右の眼で鍛造した剣)は正義にかなう剣とある。「ユミツルギ」は武力を持った臣のことと解釈し、通常の呼び名の「剣の臣」とした。
28-344 ユミツルギ カクノコトシト
剣の臣である。言いたいことはこのことだ」と言い
28-345 サケススム ソノサカツキオ
酒をオシクモに勧めた。カスガが、その盃を
28-346 コエバイナ コカラサツケヌ
返すように言うと、オシクモは「子から盃は返さないものです」と言った。
トキニマタ カガミノトミオ
そこでまたカスガが言った。「鏡の臣を
【カガミノトミオ ウヤマウガ ノコルノリゾト】 オシクモは息子であるが鏡の臣となったので、親であっても鏡の臣を敬うのは当然ということ。
28-348 ウヤマウガ ノコルノリゾト
敬うのは当然のことだ。これが最後の教えである」
28-349 カミトナル キサラギソヒカ
と言い残して亡くなった。二月十一日
28-350 オシクモハ ヨソヤモニイリ
オシクモは四十八日の喪に入り
ヤマシロノ オシホニオサム
山背のオシホに遺骸を葬った。
【ヤマシロノ オシホニオサム】 「ヤマシロ」は京都の一部。「オシホ」は京都市にある大原山の別称「小塩山」のこと。
28-352 ヒガシムキ コレヒメカミノ
その宮は東向きに建てられた。妻のヒトリ姫が
28-353 マカルトキ ギハヤマシロニ
亡くなった時、夫のカスガが山背に
28-354 イマスユエ イキスノミヤノ
葬られているので、イキス宮の
28-355 ニシムキゾ モロタミシタヒ
ヒトリ姫の社は西向きに建てた。全ての民がカスガを慕って