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31-203 アカタナル ミソフノヌシモ
三十二県の県主も
31-204 ノリオウク サキニサミタレ
祭りの仕方を教わった。先に五月雨が
31-205 ムソカフリ サナエミモチニ
六十日間も降って早苗がミモチ病にかかり
31-206 イタムユエ ツクルヲシカド
痛んでいることを聞いた直り中臣が
イナオリノ ハラヒカセフノ
稲の病気を直す祓いの風生の
【カセフノマツリ】 32綾本文148に、稲がミモチ病(いもち病)になったとき、田中神を祭り、オシ草(ヒオウギ)で仰ぎ、田に額づくと稲が蘇るという叙述がある。このようにして雲を払い晴れるように祈ったのであろう。
31-208 マツリナス ヌシラツトメテ
祭りを行った。県主たちは一生懸命
31-209 ヲシクサノ マモリニナエモ
オシクサの祓いをし、苗を守ったので、苗も
31-210 ヨミカエリ ミアツクナレバ
蘇ってよく穂が実り
31-211 ニキハヒテ カレニホツミノ
人々は活気づき、そこで収穫の
31-212 マツリナス ソレヨリタミノ
祭りを行った。それ以来、民の
31-213 ウフスナト マツルスミヨシ
産土神として祭られていた住吉の神と
31-214 モノヌシト ナカトミアワセ
大物主と直り中臣とを合わせて
ナオリカミ ウサニイトウノ
直り神とした。宇佐にイトウの
【ウサニイトウノ ミメカミヤ】 先に出てきた3女神は竹生島、江津の島(江の島)、厳島に祭られている。厳島のタナゴは宇佐に来た直り中臣アメタネコの妻の何代か前の人で、宇佐で亡くなっている。トヨの人々は宇佐にゆかりの3人を一緒に祭ったのだろう。
31-216 ミメカミヤ マタアマキミハ
三女神も祭った。また、天君は
ヒコユキオ マツリノヲミノ
ヒコユキを祭りの臣の
【ヒコユキ】 旧辞本紀にウマシマチの子として出てくる。七家の「シルシフミ(家伝書)」のうち、大物主系のホツマツタヱには、「ヒコユキ」という名前はここだけに見られ、その出自は分からない。物部系の旧辞本紀には「宇摩志麻治命の児彦湯支命を食國政を申す大夫と為す」とあり、「ヒコユキ」がウマシマチの子であることが分かる。このように家系によって人物の扱いに軽重があるということは、これらがその時代からそれぞれの家系で伝えられてきたものであるということを示していると言えないだろうか。
【マツリノヲミノ スケトナス】 これまでに「スケキサキ」として「スケ」は出てきたが、臣の「スケ」は初出。律令制になってからは四等官の第2位ということで、官によっていろいろな漢字が充てられているが、まだ律令制になる前なので「輔」とか「次官」などとは書けない。第2位の立場であることは間違いないと思うが、ここではそういう役割として「補佐」とした。
31-218 スケトナス ヨサヤヱウヅキ
補佐とした。四年サヤヱ、四月、
31-219 イホミサル ミシリツヒコノ
イホの臣カンヤヰミミが亡くなり、ミシリツヒコの
31-220 カミトナル サヤトナガモチ
神として祭られた。サヤト、九月望、
31-221 キサキウム イミナシギヒト
后は、諱シギヒト
31-222 タマデミコ ムノネシヱフユ
タマデミ皇子を産んだ。六年、ネシエ冬
31-223 イトオリメ ウムイキシミコ
イトオリ姫がイキシ皇子を産み
31-224 スケトナル フソヰサアトノ
スケ妃となった。二十五年サアト、
31-225 ムツキミカ シキヒトタテテ
一月三日にシギヒトを
31-226 ヨツギミコ イマフソヒトシ
世継ぎ皇子にした。二十一歳であった。
31-227 シモソヨカ アメタネコサル
十一月十四日にアメタネコが亡くなった。
モモヤソナ オモムロオサム
百八十七歳だった。遺骸を
【モモヤソナ】 あり得ない長寿。年齢の加算があったのだろう。この後、本文408の「102年」、410の「137歳」なども同様に考える。
31-229 ミカサヤマ カスガノトノニ
三蓋山に納め、カスガの殿に
31-230 アヒマツル ミカサノカバネ
先祖と一緒に祭った。君はミカサという姓を
31-231 ウサマロニ タマヒテタタユ
ウサマロに授けて、
31-232 ミカサヲミ ミソムノサツキ
ミカサ臣と称えた。三十六年五月
31-233 ソカネナト スメラギマカル
十日ネナト、皇が崩御された。
31-234 ヤソヨトシ ワカミヤソノヨ
八十四歳であった。若宮は十日の夜から
31-235 モハニイリ ヨソヤヨイタリ
喪に服し、四十八夜経って
31-236 イサカワニ ミソキノワヌケ
イサ川で禊ぎをし、茅の輪抜けをして
31-237 ミヤニイツ ミウエノトミハ
宮に出て政を執った。御上 (カヌカワミミ) に付いていた臣は
カミマツル ワカレツトムル
神を祭って、別れの儀式を務めた。
【カミマツル】 「カミ」は亡くなったカヌカワミミ。
31-239 ワカミヤノ マツリコトトル
若宮シギヒトの政を執る
31-240 トミハアラタゾ      
臣は新しくなった。
31-241 トキアスス モモナソネアト
アスス百七十年ネアト
31-242 アフミミカ ミコシギヒトノ
七月三日、皇子シギヒトの
31-243 トシミソミ アマツヒツキオ
歳は三十三歳。皇の御位を
ウケツギテ タマテミアメノ
受け継いでタマデミアメノ
【タマデミアメノ スメラギミ】 「アメノスメラギミ」は「天の皇君」と読め、後の「天皇」につながるように思える。1代前の「カヌガワミミノアマキミ(天君)」から表現が変っている。ホツマツタヱには書かれた時間の経過によってこのように表現・用語が変わっているものがある。これは伝えられたものを長期にわたって書き継いできた証ではないだろうか。
31-245 スメラギミ ムカシココナノ
皇君となった。昔、菊の
31-246 ハナミトテ ミススヨリヒメ
花見にミススヨリ姫が
31-247 カワマタメ シギクロハヤガ
カワマタ姫の父親のシギクロハヤの
31-248 タチニユキ ミコウマントシ
館に行った時、御子が生まれそうになり
31-249 ミカヤメル トキメヲトキテ
三日苦しんだ。その時、ある夫婦が来て
31-250 コレオコフ キミニモフシテ
出産の手伝いを申し出た。君(カヌカワミミ)に許しを願い
31-251 タマデヒコ カカエトリアゲ
タマデヒコが皇子を取り上げ、
31-252 ヤスクウム シギガヤアサヒ
楽に産むことができた。シギクロハヤの館に朝日が
カカヤケバ タマデガミナオ
輝いた。皇子の名はタマデミでは
【タマデガミナオ ススメイフ】 突然現れた何者かもわからないものに出産を任せ、かつ、そのものに因んだ名前を付けるだろうか。出産を手伝ったタマデヒコが「タマデミ」という名を勧め、親がそれを受け入れ、そのあとで夫婦の名前を聞いたように書かれているが、初めから分かっていたこと、例えば宮からの指示で夫婦は来たのであって、その素性の説明が後に回ったのではないか。
31-254 ススメイフ カハネオトエバ
どうかとタマデヒコが申し上げた。君が夫婦の姓を聞くと
31-255 ヲハコモリ メハカツテヒコ
男はコモリの、女はカツテの曾孫であった。