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31-361 オシヒトオ ワカミヤトナス
オシヒトを若宮とした。
31-362 トシハタチ アスオシキネオ
歳は二十歳。次の日、兄のオシキネを
31-363 ヲキミトシ カスガオタマフ
御君とし、カスガの称号を賜わった。
31-364 ヤソミトシ アキハツキヰカ
八十三年秋八月五日に
31-365 キミマカル トシモモソミゾ
カエシネ君が崩御された。齢は百十三歳であった。
31-366 トミキサキ ミナトトマリテ
臣や妃はみな宮に留まって
ミニツカフ ミコカミマツル
亡くなった君の喪に服した。皇子は父神を祀った。
【ミニツカフ】 他の写本に「モニツカフ」とあり、この場合は喪に服す場面なので「モニツカフ」と読み替えた。
31-368 トシミソヰ ヲヤニツカエテ
皇子三十五歳の時であった。父を祭りながら
31-369 タミヲサム カレアニヲキミ
民を治めた。そこで兄の御君オシキネは
31-370 ウエナイテ ソノコオオヤケ
弟オシヒト君に従い、オシキネの子のオオヤケ、
31-371 アワタオノ カキモトイチシ
アワタ、オノ、カキモト、イチシ等
31-372 ソトミマメ キミトシゴトノ
十臣も忠義を尽くした。毎年
31-373 ハツキヰカ ヤヨノモマツリ
八月五日から八夜の喪祭りを行った
31-374 マコトナルカナ      
君のなんと素晴らしいことであろう。
31-375 トキアスス ミモフソムトシ
アスス三百二十六年
31-376 ハツノナカ アマツヒツギオ
一月七日、天皇の御位を
31-377 ウケツギテ タリヒコクニノ
受け継いで、タリヒコクニの
31-378 アマツキミ イムナオシヒト
天君として、諱オシヒトが
31-379 クラヒナル カサリオタミニ
即位し、正装の姿を民に
31-380 オガマセテ シギナガハヱガ
拝謁させた。シキナガハヱの娘の
31-381 ナガヒメオ オオスケキサキ
ナガ姫をオオスケ妃とした。
31-382 トチヰサカ ヒコガヰサカメ
トチヰサカヒコの娘のヰサカ姫を
31-383 ウチキサキ ナガハシニイテ
ウチ妃とし、長橋の局で
31-384 オシテモリ スヘテソフナリ
御璽を守らせた。妃は全部で十二人であった。
フトシフユ ムロアキツシマ
二年の冬に室秋津島に
【ムロアキツシマ】 御所市室にある八幡神社の境内に「孝安天皇室秋津島宮跡」という石碑が建っている。
31-386 ニイミヤコ ソヒホムレクモ
都を遷した。十一年、曇りの日が続き
31-387 ホヲムシオ ツグレハキミノ
稲に害虫が発生したことを知らせると、君は
31-388 ミツカラニ ハラヒカセフノ
ご自身で祓いの風生の
31-389 マツリナス カレヨミカエリ
祭りを行われた。それで稲が元通りになり
31-390 ミツホアツ ヨリテホヅミノ
穂がたわわに実った。そこで、穂積の
31-391 マツリナス フソムトシハル
祭りをおこなった。二十六年春
31-392 キサラソヨ カスガヲキミノ
二月十四日、カスガ御君の娘の
31-393 オシヒメオ イレテウチミヤ
オシ姫をウチ宮にした。
コトシソミ ミソミトシノチ
齢は十三歳。三十三年後の
【ミソミトシノチ】 タケヒト(神武天皇)の時大勢殉死をし、それが習わしとなってしまったが、ヤマトタリヒコクニ(孝安天皇)は父を仮埋葬し、33年後、仕えた臣たちがほぼ亡くなるのを待って改めて埋葬したのだろうか。
31-395 ハツキソヨ オクルミウエノ
八月十四日に、亡くなった父皇の
31-396 オモムロオ ハカタノホラニ
遺骸を博多の洞に
31-397 オサムナリ トミメノカラモ
葬り、臣や侍女の遺骸も
31-398 ミナオサム イキルミタリモ
みな一緒に納めた。生きていた三人も
31-399 オヒマカル アメミコノリヤ
殉死したが、それはタケヒト君の埋葬より始まった慣わしである。
31-400 ヰソヒトシ ナガツキハツヒ
五十一年九月一日に
31-401 キサキウム イムナネコヒコ
后が産んだ皇子は、諱ネコヒコ、
31-402 オオヤマト フトニノミコゾ
オオヤマトフトニである。
31-403 ナソムトシ ハルムツキヰカ
七十六年春、一月五日、
31-404 ネコヒコノ トシフソムタツ
ネコヒコは二十六歳の時に
31-405 ヨツキミコ コソフトシハル
世継ぎ皇子になった。九十二年春
31-406 スルガミヤ ハフリハラノヱ
駿河宮の祝主が富士山の絵を
31-407 タテマツル ミコモフセドモ
献上した。皇子が欲しいと言ったが
31-408 キミウケズ ミヨモモフトシ
君は受け取らなかった。タリヒコクニノアマツキミの御代は百二年続いた。
31-409 ムツキコカ キミマカルトシ
一月九日に君は崩御された。歳は
31-410 モモミソナ ミコモハオサム
百三十七歳であった。皇子は喪に服した。
31-411 ヨソヤノチ ワカミヤニイデ
四十八夜後に、若宮は宮に出て
31-412 マツリコト ナガツキミカニ
政を執られた。九月三日に
オモムロオ タマデニオクリ
遺骸を玉手に葬ったとき
【タマデニオクリ】 御所市の玉手に孝安天皇陵がある。
31-414 ヰタリオフ トモニオサメテ
五人が後を追ったので、一緒に葬って
31-415 アキツカミカナ      
アキツ神として祭った。