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カゾエモノ オリアワセメニ
それを数え物という。この歌は折り合わせ目に
【オリアワセメニ ケリモアリ】 歌の2行めに「サケル」の「ケ」があり、その隣に「リ」があるということ。「ケリ」は、その結果が存在していることを述べる助動詞。
39-280 ケリモアリ キミトワレトハ
『けり』という言葉があり、「君とわれとは
39-281 ツツキケリ ヨコガメドルオ
続きけり」という意味になる。横恋慕で娶ることを
39-282 サカシマニ ルドメニトメテ
逆さにして『るどめ』として止めて、
39-283 タチキレバ マメモミサホモ
相手の想いを断ち切ったので、忠義も操も
39-284 アラワセリ カレソコモツズ
表わされたのだ。だから、十九音だけでもツズ歌といい
39-285 モノモツズ ツツキウタナリ
数え物もツズ歌という。これは続き歌なのだ」
39-286 ナツカハギ ココニヰテトフ
ナツカハギが、その場にいて訊いた。
39-287 ツギアリヤ タケヒコタエテ
「続きを教えてください」タケヒが答えた。
ヤソアリテ ハツハオコリト
「八十句あるうちの一句目を「起こり」という。
【ヤソアリテ…】 以下にツヅ歌の説明が続くが、今日の連歌の用語や決まりと違う所があるようで、その道に暗い私はこの訳でよいのかと思っている。詳しい方に是非教えを乞いたい。
39-289 ツギハウケ ミツハウタタニ
次は「承け」、三句目は「転」で
39-290 ヨツアワセ ヰツハタダコト
四句目は「合わせ」、五句目は「ただ言」、
39-291 ムツハツレ ナナハツキヅメ
六句目は「連れ」、七句目は「つき詰」、
ヤツハツキ オモテヨツラネ
八句目は「継き」という。表の四連で
【オモテヨツラネ】 4句目までを表、5句目から8句目までを裏とする。
マメミサホ マテニカヨハズ
忠・操を詠うと、裏は表と趣を変えて
【マメミサホ】 本文275の「アメツツチトリマス・・・」という例の歌が忠義と操を詠んでいるので、それを例えとすると、というようにも考えられるが、本文307の「モトウタハキミ・・・」と本文325の「マメトミサホトアラワセバ」の文から考えると、歌が極めて政治的に重い意味を持っていたこの時代は、「忠義と操」がテーマであったのだろうか。
39-294 ウラヨツレ ハツハカシラノ
裏の四連も詠う。裏の一句目(ただ言)は最初の句(起こり)の
39-295 ヰヲシテエ メクラシツラヌ
五文字を使って、(二句目(連れ)は)それから連想してつなげる。
ソノツギハ ウチコシココロ
その次(三句目(つき詰))は二句前と同じ内容にならないようにする。
【ウチコシココロ】 「ウチコシ」は連歌・俳諧で、付け句の二つ前の句。付け句と打ち越しの間に特定の同じ韻や縁語があることを「打ち越しを嫌う」といって避ける。(大辞林)
39-297 ウタタサリ モトニムラガル
転(つき詰)の次(四句目(継ぎ))は初めの句に関わりのある内容にして詠んで
39-298 ヒトツラネ ソムオヒトオリ
一連ねとする。十六句を一折りとして、
39-299 スヘヰオリ ヤソオモモトシ
全部で五折り作る。その八十句を「百句」と呼び、
39-300 オリハフソ カレオリトメノ
一折りを「二十句」と呼ぶ。それで一折りの最後を
39-301 ツズハタチ オリハツノツズ
ツズハタチという。一折りの初めに付けるツズを
39-302 アヒカナメ オリツメノツズ
天一要といい、二折り目の詰のツズは
39-303 ミソコハナ ミノツメヰソコ
三十九花という。三折り目の詰のツズは五十九句目で
39-304 ツズサヅメ ヨノツメナソコ
ツズさ詰といい、四折り目の詰のツズは七十九句目で
39-305 ツズフヅメ ヰノツメコソコ
ツズふ詰といい、五折り目の詰のツズは九十九句目で
ツズツクモ ヰフシニホヒノ
ツズ九十九という。五節目は香りの高い花として
【ヰフシニホヒノ ハナハユリ】 難解。連歌の資料にもヒントになることが書かれていないので、確信はないが次のように解釈し訳した。「ヰフシ」は「五節」と読んで、表と裏の8句を1節とする。初めの天一要も1節と数えると、5節目がミソコハナ(三十九花)のある2折り目になる。ここでユリの花を歌い込むというルールと考えた。どの場合でもユリの花なのかは分からない。後の連歌のルールでも「定座」といって月や花を歌うように特定の場所が決められたりしているという。
39-307 ハナハユリ モトウタハキミ
ユリを詠みこむ。元になる歌を君とすれば、
39-308 ソノアマリ ヱダヤハツコオ
それから続く血族や子孫が
39-309 ヤソツヅキ ナオフカキムネ
末永く続いているように歌を続けるのだ。一層深い意味合いを
39-310 ナラヒウクベシ      
習得しなさい」。
39-311 マタトフハ ヤソオモモトス
ナツカハギが重ねて聞いた。「八十を百とするのは
39-312 カズイカン コタエハカナメ
数をどう考えるのですか」タケヒが答えた。「天一要の四句を
39-313 マタクバル モトウタオフソ
それぞれの折りの初めに配すので、元歌が二十句となるのだ」
39-314 カエシトフ ユリガハジメカ
再び聞いた。「ユリ姫が初めに詠んだのですか」
39-315 コタエイフ カミヨニモアリ
タケヒが答えた。「すでに神代にもあった。
39-316 ミヲヤカミ ツツノヲシテヤ
アマテル神が詠んだツヅのオシテもある。
39-317 アメミコノ ヒフガニイマス
タケヒト君が日向に居られた時、
39-318 ヤマトヂノ ハヤリウタニモ
ヤマト路のはやり歌にも
39-319  ノリクダセホヅマヂ   
「のりくだせ ほつまぢ
39-320  ヒロムアマモイワフネ  
ひろむあまも いわふね」という歌があった。
39-321 シホヅツヲ ススメテヤマト
このときシホツツの翁が、タケヒト君に勧めて
39-322 ウタシムル コレオリカエニ
ヤマトを討たせたのだ。この歌には折り返しに
アヒツアリ カレウチトルオ
『あひつ』がある。故に討ち取ることが
【アヒツ】 フトマニにも「アヒツ」の項がなく、「ウチトルオヨシ」の確かな根拠は分からない。そこで次のように考えてみた。「ノリクダセホツマヂヒロムアマモイワフネ」を、「ヒ」を中心に折り返すと「ツ」と「ア」が重なる。ここでは「ア」は君を、「ヒ」は日輪を表し、「アヒ」は天下を治めるべき君、すなわちタケヒトをさすと考える。「ツ」は完了の助動詞とし、ある事柄が実現することを確信を持って述べるのに用いる「確かに…する」という用法と考え、「タケヒトは確かに天下を納める」すなわち「タケヒトがナガスネヒコを討ちとるべし」となるのだろうか。
39-324 ヨシトナス ユリヒメモツヅ
よいということになるのだ。ユリ姫も十九歳で
39-325 ウタモツヅ マメトミサホト
歌も十九音で忠と操とを
39-326 アラワセバ ツツキウタヨム
表したので、続き歌を詠む
39-327 ノリトナル ツイニホツマノ
手本となったのである。このようにしてホツマの
39-328 マツリコト アメニトホレバ
政が天下に行き渡ったので
39-329 コトゴトク マツラフトキゾ
今では全ての国が従っているのだ。
39-330 ウタハクニ チカラハアタヒ
だから歌が返せた者には国を与え、力を出した者にはハナフリを
39-331 タマハリシ キミハカミカト
賜ったのである」。「君(タケヒ)は神ではないか」と