【ソミハナリハノ ハナルトキ】 極めて難解だが次のように「ソミハナリ」と「ハノハナルトキ」に区切って訳を試みた。「ソミハナリ」の「」は葉を表すので「十三の葉」となるが、現存する他の3つの写本には「」(十二)となっているので、ここでは「ソフハ」と読み替え「十二の葉」とする。葉は枝から出ている端ということで、「葉」と「端」の音をかけて「十二の端」と訳した。この「十二の端」は体と外界の接するところとして「目、耳、鼻、手、足(以上各2)、口、皮膚、」で12となる。「ハノ」の「」は大地も表わすことがあるので「大地の」と解釈し、「ハナル」は「葉が成る」と解釈した。区切った二つを合わせて、生まれた後外界と接する感覚や運動などにかかわる部位が、大地の草木が茂るようにすくすくと育つ時期であると述べていると解釈した。訳は長々と説明的には書けないので、何のことかわからない訳になってしまったがお許しいただきたい。
【ハハハウツホネ】 3つのハ「」は順に、「大地」「葉」「助詞」を表している。「ウツホ」を「空間」とし、「ネ」を「音」として考えると、「ハハという言葉は大地が葉を育む意味を持って空間に発せられる音(言葉)なのだ」ということになる。
【ツラナルミヤビ テテタダヨ】 赤子が、生まれてから初めに父母をよぶ言葉が「テテ、タダ」。「ツラナル」は「ミヤビ」の「上品」とか「宮人としてのあり方、生き方」という親の生き方を伝えていくことと捉えたが、訳の上では適切な言葉が見つからなかったので「思い」とした。
【チギリシタシム トトカカゾ】 乳児から幼児と成長し、言葉も身に着くころ、子どもは父母を「トト、カカ」と呼ぶようになる。この辺りは非常にわかりにくいところだが、父母を、生まれた子どもがどのように呼ぶかという視点で解釈すると意味が通じる。本文105の「ハハノツツシミ」から本文115の「トトカカゾ」までの文脈は、「タダ」の頃は胸に抱き、「カカ」の頃は「掲げるように抱く」という親の面からの内容で、後半が子どもの面からということになる。この部分は唐突な感じを受けるが、度々「ツツシミ」に触れたわけを述べた挿入の部分であろう。このような時を迎えるため、母親は子どもが生まれてくるまで絶えず慎重にしていなければならないないという教えなのであろう。いわゆる胎教のことなのだろうか。
【ソフツキハ ツキミチウマル】 普通、出産までは十月十日と言われているが、ここでは12か月。本文170に「ヲノコハトシニ メハトツキ」とあり、この時代には、男の子は12か月、女の子は10か月で生まれるとされていたようだ。
【マメヒラフ】 近年ではそのようなことはしないのではないかと思うが、かつては妊婦の運動のためといって、床にまいた豆を拾う慣わしがあった。 【イタワリ】 通常、いたわること、ねぎらうことという意味でつかわれる語であるが、この場合は「病気」の意。「つわり」は病気とは言えないので「体の不調」とした。
【シカハモフケノ ムネノハナ】 「シカハ」は「然は」と読み、「そうすることは」と訳した。「モフケ」は、子を儲ける。産むこと。「ムネ」は「旨」と読み、趣旨、中心とすること。ここでは「本来の」とした。「ハナ」は美しいこと、素晴らしいこと、最もよいことなどを表す語として解釈したが、「喜び」と意訳をした。