先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
16-294 タカラトノ ウチヨリイヅル
宝物殿を開いた。中から取り出した
16-295 ハフタヱハ キミノタマモノ
羽二重はアマテルカミからの賜り物で
16-296 フタハアリ ナスユエシラズ
二把あった。「どのように使ってよいか分からず
16-297 アメノハオ キルモオソレテ
また、アマテルカミから賜った布を切るのも畏れ多くて
16-298 クチントス イマサイワヒノ
とっておいたので朽ちるところでした。今、幸なことに
16-299 ヲシヱウル ヒメハコヤネノ
腹帯の教えをいただきました」と言った。「姫はコヤネの
タケシルヤ シレリヒトタケ
背丈を知っているか」と訊くと、姫が「知っております。一丈
【ヒトタケ フタヰキ】 「タケ」は長さの単位。古来それは馬の前足の先から肩までの高さをもとにし、4尺(1.2m)以上5尺(1.5m)未満のものを標準としたと辞書に書かれている。ホツマツタヱの書かれた時代もこの長さであったかは不明だが、これをよりどころに考えてみる。現在(明治に定められた尺貫法)の1丈(ジョウ、約3m)とは基本の長さが異なるので、ここでの「丈」は「タケ」と読む。尺と寸はそれぞれ十分の一で、尺に相当する「咫」と寸に相当する「寸(「キ」と読む)」もそれぞれ十分の一と考え、「咫(タ)」は12cmから15cm、「寸(キ)」は1.2cmから1.5cmということにしてみる。これをもとにアマノコヤネの身長を計算すると140cmから187.5cmとなる。
フタヰキゾ カネキクウエノ
二咫五寸(キ)です」と答えた。「かねて聞いていたアマテルカミの
【カネキクウエノ ヲンタケ】 「ウエ」はキミと訳したが、キミとはアマテルカミ。「春日山紀」の中のミカサフミの文に「アマテラス カミノミタケト ワガセコト イトカケマクモ オナシタケ」とある。アマノコヤネはアマルカミと同じ背丈ということになる。
16-302 ヲンタケト ウマレアヒタル
背丈と同じだ。キミと同じ丈に生まれたとは
16-303 ミメクミト モロノタマエバ
なんという恵みなのだろう」と、みなが言ったので
イメガミニ イトアリカタト
姫も「私にとっても、大変ありがたいことです」と
【イメ】 「イ」は主格「メ(女)」を強めて指す格助詞。
16-305 ヱミストキ チチヨロコビテ
ほほ笑むと、父のタケミカツチも喜び、
16-306 ハフタヱオ ミタケノオビト
その後、羽二重をコヤネの身の丈の帯に
16-307 ナシタマフ ハラオビナセハ
作った。腹帯を締めると
16-308 ミノイキス ヒタチトナリテ
姫の息がだんだん調子よくなった。
16-309 ヒメノトヒ ウムトキイカン
また姫が聞いた。「産むときはどうしたらよいでしょうか」。
16-310 コモリマタ コレハカツテガ
コモリはまた「これはカツテが
16-311 ヨクシレリ ワレカエルノチ
よく知っております。我が帰った後に
16-312 クダスベシ アルヒミトノニ
こちらに来るようにしましょう」と答えた。ある日、タケミカツチが宮で
16-313 ミアエシテ コモリオマネキ
宴を開いてコモリを招き、
16-314 モノカタリ ワガウマレツキ
話をした。「我は生まれついて
ミノタケモ ヒタケムタアリ
身の丈も一丈六咫あります。
【ヒタケムタ】 解釈ノート16-300での計算をもとにすると一丈六咫は192cmから240cmとなる。前半のタケで計算してもタケミカツチは大男ではある。
チカラワザ ヤタノヒトラノ
腕力にかけては、八咫の人達が
【ヤタノヒトラ】 計算するとわずか96cmから120cmとなる。手元の資料によれば、縄文時代の成人男性の平均身長は159.1cmということである。この綾の本文154に「タケヤタハ ヤソヨロオノコ ナレタケゾ」(帯の丈を8咫とするのは大勢の男の平均的な背丈だからです)と出てくることを合わせて考えると、「八咫の人ら」が不自然に小さい。「八咫の人ら」の背丈を縄文時代の平均身長に合わせると、アマノコヤネは2m50cm、タケミカツチは3m20cmの巨人になってしまう。いずれに合わせても不自然。私は「八咫の人ら」の身長を考古学でいわれる159cmほどと考え、宮人の背丈は誇張されたものと考える。
16-317 ヨロヒキノ イワオモナゲテ
大勢で引かなくてはならないような岩をも投げることができ、
ウツロイモ ヒシゲハタマフ
ウツロイも退治したのでアマテルカミから
【ウツロイ】 いくつもの綾に登場するが、その時によって神話の世界の雷となったり、人になったりして描かれている。人としてみると、「移ろっている者」(定住しないで猟などをしている者)のようで、粗野な人々をいうようである。
16-319 フタツルギ イマフシミレハ
二本の剣を賜りました。しかし、今よくよく考えてみると
16-320 ヲキナガミ サカルコモリト
もう我は年寄りとなりました。若いコモリと
16-321 クラブレハ ワレハアカゴノ
比べると我は赤子のようなものです。その赤子についての
16-322 ミチウケテ ヒトナルカエノ
教えをいただいて、人並みになれたお礼に
イシヅツヲ ススメウヤマフ
石槌の剣を差し上げます」と恭しく差し出した。
【イシヅツ】 石槌の剣と訳したが、これは8綾本文365~369で、タケミカヅチがアマテルカミより賜った2本の剣のうちの1本のカナイシヅチの太刀だと思われる。
16-324 トキコモリ オドロキワレハ
それには、コモリが驚いて「我は、
16-325 ミチノオト コヤネノヲヤモ
教えの道ではアマノコヤネ命の弟のようなものです。アマノコヤネ命の親は
16-326 ワガヲヤト カエモノウケズ
私の親とも言えます。お礼のものなどはいただけません」と言った。
16-327 ミカツチハ ナオハヂススム
タケミカツチは、なお恥じ入って剣を勧めた。
16-328 コモリミテ ツルキオオガミ
コモリがタケミカツチの様子を見て、恭しく礼をして剣を
16-329 イタタケバ ミカツチエミテ
いただいたので、タケミカツチは笑顔になって
クラナシテ マツリタエンオ
自分の席に戻った。「我は家系が絶える心配をしていましたが、
【クラナシテ】 「クラ」は「座」、自分の席。
16-331 ヒメアリテ ヨツギミチキク
姫がいたので、世継ぎについての教えを聞くことができて、
16-332 コハタカラ イキスモシレハ
よくよく子どもは宝だと感じました。イキスについてもよくわかったので
16-333 イキスミヤ コヤネトヒメト
ここをイキスの宮と名付けて、アマノコヤネ命と姫を
ココニオキ ワレハノチヤニ
住まわせましょう。我はこの後ヒタカミの仮宮に戻り
【ワレハノチヤニ】 「ヤ」は宮。自分の宮をアマノコヤネと姫に譲ったので、タケミカツチはヒタカミの仮宮に行くことにしたのではないか。
16-335 フツヌシト ヒタチオビナシ
ヒタチの帯を織らせて、フツヌシと共に
16-336 サツケント カタリトコトモ
姫に授けましょう」とタケミカツチが言い、別れの挨拶も
16-337 トトノヒテ コモリハアメニ
済ませ、コモリカミはイサワの宮に
16-338 カエリケリ ノチニカトリノ
帰った。その後、タケミカツチは香取の
16-339 ミヤニユキ カタリテトモニ
宮に行ってフツヌシに事情を話した。二人連れだって
16-340 ヒタカミニ ツクレハキミモ
ヒタカミに行きキミに話すと、キミも
16-341 ヨロコビテ ケフノホソヌノ
大変喜んで、ケフの細布を
16-342 オラシムル タカマノハラノ
織らせた。そしてヒタカミの宮にある
16-343 カリミヤニ オビタマワレバ
仮宮で腹帯をタケミカツチに賜ったので
16-344 モロカナモ ヒタチノミヤト 
みなは仮宮をヒタチの宮と呼んだ。