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16-100 カワクユエ ホソノヲクダニ
水がなくなってくるので、へその緒に
16-101 チシルカフ ナツキチオニテ
乳汁が通って行きます。七か月目には乳汁で育ち
ヰイロハニ コレクラワタト
五種類のハニが感覚器官と内臓器になり、
【クラワタ】 ここでは7か月目に内臓器ができるとなっているが、14綾本文098では八か月目となっていて矛盾している。
16-103 アフミナス ココモツツシミ
胎児が足を動かすようになります。この時期も大事にしなさい。
ヤツキニテ ソミハナリハノ
八か月目には、十二の端も成長し、大地の
【ソミハナリハノ ハナルトキ】 極めて難解だが次のように「ソミハナリ」と「ハノハナルトキ」に区切って訳を試みた。「ソミハナリ」の「ハ」は葉を表すので「十三の葉」となるが、現存する他の3つの写本には「ソフ」(十二)となっているので、ここでは「ソフハ」と読み替え「十二の葉」とする。葉は枝から出ている端ということで、「葉」と「端」の音をかけて「十二の端」と訳した。この「十二の端」は体と外界の接するところとして「目、耳、鼻、手、足(以上各2)、口、皮膚、」で12となる。「ハノ」の「ハ」は大地も表わすことがあるので「大地の」と解釈し、「ハナル」は「葉が成る」と解釈した。区切った二つを合わせて、生まれた後外界と接する感覚や運動などにかかわる部位が、大地の草木が茂るようにすくすくと育つ時期であると述べていると解釈した。訳は長々と説明的には書けないので、何のことかわからない訳になってしまったがお許しいただきたい。
16-105 ハナルトキ ハハノツツシミ
草木の葉が茂るときに例えます。これまで母親に慎むように述べたのは
コレナルゾ ハハハウツホネ
次のような訳なのです。『ハハ』という言葉は大地が葉を育むことを表す言葉です。
【ハハハウツホネ】 3つのハ「ハハハ」は順に、「大地」「葉」「助詞」を表している。「ウツホ」を「空間」とし、「ネ」を「音」として考えると、「ハハという言葉は大地が葉を育む意味を持って空間に発せられる音(言葉)なのだ」ということになる。
マタタダハ ハルノソラネオ
また、『タダ』(母の別称)は、春の優しい日差しが
【タダ】 広辞苑に「『だだ』(幼児語、ダダアとも)父。また、母。『たた』父。母または主婦。特に生魚の行商をする漁師の妻。」とある。ここでは「母」の別称とした。
ハニアミテ イダクニタレバ
地面に射すように、優しく子供を抱くことができるので
【イダクニタレバ タダトイフ】 訳文だけではなぜ「タダ」というのか分かりにくい。いささかこじつけの感があるが「イダク」の「ダ」と「タレバ」の「タ」で「タダ」としたと考えた。
タダトイフ カカハアキノネ
『タダ』というのです。『カカ』という言葉は秋の収穫の喜びを表す言葉で、
【カカハアキノネ】 「カカ」は母の別称。「アキノネ」は春に対する秋。なぜ秋なのかは次項。
イツクシニ カカゲアカセル
子どもを慈しんで掲げて喜んでいる
【イツクシニ カカゲアカセル】 訳文は母親と子どものこととして訳してあるが、大切に育てた作物を取り上げて(収穫して)喜ぶ秋に例えているということではないか。カカゲの「カ」とアカセルの「カ」で「カカ」。
ココロサシ チチハチテトノ
気持ちを表します。父はチ、テ、トの
【チチハチテトノ ヲシテナリ】 「チチ、テテ、トト」は、いずれも父親のこと。「ヲシテ」は通常「文字」を表すが、この場合は口から発音される言葉と解釈した。
ヲシテナリ チチハハアメオ
音でよばれます。『チチ』と『ハハ』が天の恵みを
【チチハハアメオ ハニアミテ】 「チチ、ハハ」は両親の一般的な呼び方。両親が生まれてきた子どもに、最大限の愛情を注ぐこと。
ハニアミテ ツラナルミヤビ
地が受けるように子どもを慈しみ、二人の思いが赤子に伝わる頃
【ツラナルミヤビ テテタダヨ】 赤子が、生まれてから初めに父母をよぶ言葉が「テテ、タダ」。「ツラナル」は「ミヤビ」の「上品」とか「宮人としてのあり方、生き方」という親の生き方を伝えていくことと捉えたが、訳の上では適切な言葉が見つからなかったので「思い」とした。
テテタダヨ チギリシタシム
赤子は父母を『テテ、タダ』と呼びます。幼児は、関わり合いを楽しむ頃
【チギリシタシム トトカカゾ】 乳児から幼児と成長し、言葉も身に着くころ、子どもは父母を「トト、カカ」と呼ぶようになる。この辺りは非常にわかりにくいところだが、父母を、生まれた子どもがどのように呼ぶかという視点で解釈すると意味が通じる。本文105の「ハハノツツシミ」から本文115の「トトカカゾ」までの文脈は、「タダ」の頃は胸に抱き、「カカ」の頃は「掲げるように抱く」という親の面からの内容で、後半が子どもの面からということになる。この部分は唐突な感じを受けるが、度々「ツツシミ」に触れたわけを述べた挿入の部分であろう。このような時を迎えるため、母親は子どもが生まれてくるまで絶えず慎重にしていなければならないないという教えなのであろう。いわゆる胎教のことなのだろうか。
16-115 トトカカゾ コツキミメコエ
父母を『トト、カカ』と呼びます。九か月目には容貌と声が
ソナハリテ トツキクライシ
備わります。十か月目には安定し
【トツキクライシ】 「クライ」は「位」。その位置に落ち着く、すなわち安定するということ。
ソフツキハ ツキミチウマル
十二か月目は月満ちて、子が生まれます。
【ソフツキハ ツキミチウマル】 普通、出産までは十月十日と言われているが、ここでは12か月。本文170に「ヲノコハトシニ メハトツキ」とあり、この時代には、男の子は12か月、女の子は10か月で生まれるとされていたようだ。
16-118 ミタネコレナリ
胎児の成長に関する話は以上です」。
16-119 オリシモニ ヒメノナゲキハ
ちょうどそのとき、姫が嘆いて言った。
16-120 コオヲモフ カゼノトモシビ
「おなかの子のことを考えると、風に吹かれている灯のように、
16-121 タマゴツム ヤスキヒモナク
また、卵を積み上げるように不安で、安らかにしていられる日がありません。
16-122 ミツオコヒ アルハスオコヒ
水が飲みたくなったり、すっぱいものが食べたくなったり
ムナサワキ ツラニノホセハ
吐き気がしたりします。顔がのぼせたり
【ムナサワキ】 現代語の感覚では「不安や心配で胸がドキドキすること。動悸が起きること」だが、ここでは前後の関係から「つわり」の症状のムカムカする吐き気と考える。
16-124 ヱダヒエテ ヒメモスナヤミ
手足が冷えたりして、一日中悩んで、
16-125 ミケタベズ ムネノイタミヤ
食が進みません。胸が痛くなったり
16-126 メノクラミ タマニヨキヒハ
目がくらんだりもします。たまに気分の良い日は
マメヒラフ コノイタワリモ
豆を拾っています。このような体の不調も
【マメヒラフ】 近年ではそのようなことはしないのではないかと思うが、かつては妊婦の運動のためといって、床にまいた豆を拾う慣わしがあった。
【イタワリ】 通常、いたわること、ねぎらうことという意味でつかわれる語であるが、この場合は「病気」の意。「つわり」は病気とは言えないので「体の不調」とした。
16-128 ツツシミテ ヨキトシノベド
慎みを忘れないように、お腹の子のために良いことだと忍んでいますが、
16-129 イマワガミ イキスヒトトキ
今、私の呼吸数はひと時に
ヨソジホド タラヌヤマフノ
四十回ほど足りないので、病気ではないかと
【ヨソジ】 「ジ」は数助詞。数詞に添えて、物を数えるのに用いる。
16-131 カナシサヤ コモリハヒメノ
悲しんでいます」。するとコモリは姫の
イキスミテ チハラオナデテ
呼吸の様子を見て、姫の大きなお腹を撫でて
【チハラ】 「チ」は大きいことや多いことを表す「チ(千)」。
16-133 ヱミスカホ イキスタラヌハ
にっこりと笑顔になって言った。「呼吸数が足りないのは
16-134 ヒメミコヨ コレトノキミノ
女のお子だからですよ。と言うのは姫の殿君が
トコカタリ ワレヒメミコオ
いつもこんなふうに言っていたからです。『我は姫御子を
【トコカタリ】 「トコ」は常の意。いつも言っていた、ということ。
マフケラン タチカラワコオ
授かったようです。自分も力を添えて我が子が
【タチカラワコオ マネカンナ】 「タチカラ」はタチカラヲではなく、「手力」で、ここでは「自分の力を添えて」とした。妊娠して苦しんでいる妻をいたわる気持ちを表していると解釈した。
マネカンナ ワガヨロコビノ
生まれるようにしたいものです。それは自分の喜びの
【ワガヨロコビノ カドヒラキ】 直訳すれば「門を開く」だがここでは「扉」とした。自ら喜ぶべき結果の方に進めること。
カドヒラキ シカハモフケノ
扉を開くことになり、そうすることは、子を産むことの
【シカハモフケノ ムネノハナ】 「シカハ」は「然は」と読み、「そうすることは」と訳した。「モフケ」は、子を儲ける。産むこと。「ムネ」は「旨」と読み、趣旨、中心とすること。ここでは「本来の」とした。「ハナ」は美しいこと、素晴らしいこと、最もよいことなどを表す語として解釈したが、「喜び」と意訳をした。