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ミココタエ クラトガワザハ
皇子ニギハヤヒが答えて、「番人の言ったことは
【ミココタエ】 この「ミコ」はアスカホノアカリの皇子(養子)のニギハヤヒ。
28-411 ワレシラズ コレニアラケテ
我には関わりないことだ」と言った。そのことを怒って
コトシロハ イヨニトトマル
八重事代主ツミハは伊予に留まったままでいた。
【コトシロハ イヨニトトマル】 ツミハは27綾本文016にアスカ宮の事代主になったことが書かれている。またツミハは27綾本文264ではハラ朝間宮と伊予の国とを掛け持ちして仕えている。自身の治めるアワの国と4ヶ所を行き来しなければならぬ超多忙な人であったようだ。ツミハはアスカ宮のニギハヤヒの無責任な言動を怒って伊予から出なくなってしまったのだろう。さすが剛直な大物主系の人である。
28-413 ソノツマハ イセニモフデテ
ツミハの妻が伊勢に詣でたとき、
28-414 サルタヒコ タタラナスオハ
サルタヒコがタタラで製鉄をしているのを
28-415 ミニイタリ ソコデヒメウム
見に行き、そこで姫を生んだ。
28-416 ソノツマニ トリアケサセテ
サルタヒコの妻ウスメが出産の世話をして
28-417 オクリユク コトシロエメバ
その後姫を送って伊予に行った。ツミハは喜び、
28-418 サルタヒコ タタユルヒメノ
サルタヒコは姫の出産を称えて
28-419 ナハタタラ イススヒメナリ
姫の名をタタライスズ姫とした。
28-420 ナガスネガ ワレオタツレハ
ナガスネヒコが勝手な振る舞いをしたので
28-421 イチサワグ カレニハラミノ
大騒ぎになった。そこでハラミ山の
ミコフレテ ホツマヒタカミ
御子タケテルが触れを出して、ホツマや日高見の
【ミコフレテ】 この「ミコ」はナガスネヒコが仕えているクニテル(ニギハヤヒ)の弟のタケテル。
28-423 カテフネオ ノホサヌユエニ
食糧を運ぶ船をヤマトに行かせないようにしたので
28-424 タガノミヤ ツクシノミヤニ
多賀の宮のイツセが筑紫の宮のタケヒトの元に
ユキイマス オオモノヌシハ
行き、居ついてしまった。大物主は
【オオモノヌシハ】 大物主はクシミカタマの役名。諱はワニヒコ。ここでは自分のことを指している。本文434の「ワニヒコ」も自分を指している。
28-426 タガトノニ ネノクニヲサメ
多賀の殿でネの国を治め、
28-427 オオタオバ ヒフガカントノ
オオタを日向の宮の
28-428 ソエモノト ナシテムスメノ
副物主とし、オオタの娘の
28-429 ミラヒメオ メトリテウムコ
ミラ姫と結婚した。生まれた子は
タタヒコガ アタツクシネハ
タタヒコといい、それはアタツクシネの
【タタヒコガ アタツクシネハ オサナナゾ】 「アタツクシネ」が幼名のように読めるが、31綾本文197に「アタツクシネニ オオミワノ カバネタマワル」とあるので、幼名は「タタヒコ」。
28-431 オサナナゾ チチノツミハモ"
幼名である。父の八重事代主ツミハも
28-432 カミトナル アススヰソトシ
亡くなった。アスス五十年
カンナツキ ヤソヨヨロミチ
十月、八十四万三千
【ヤソヨロミチ ヨソヤナリ】 「843048歳」をどうとらえてよいのか。48歳に843000歳を付けたのか、長寿を表したのか、それ以外なのか分からない。
28-434 ヨソヤナリ コトシワニヒコ
四十八歳であった。今年、ワニヒコは
28-435 モモノヤツ イモトイススハ
百八歳、妹のタタライスズ姫は
28-436 トオヰツツ トモニモニイリ
十五歳で、共に喪に服して
28-437 ヨソヤノチ アハノアカタニ
四十八日経ち、阿波の県に
28-438 オサムノチ ミツカラシルシ
葬った。その後で、自分が書いた
28-439 コノフミオ ヤシロニオクハ
この文を社に置いておくのは
ヰツコノタメカ      
君を継ぐ皇子の役に立つのではないかと思うからである。
【ヰツコ】 ヰ」は数詞だが、5人にしても5歳にしても意味が通じない。「イツコ」を「厳子」と読み、君を継ぐべき皇子と解釈した。クシミカタマが書いたのはこの綾までで、クシミカタマはこれからの君の役に立つ内容だとの思いを込めたのであろう。