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31-000 31ナオリカミミワカミノアヤ
直り神、三輪神の綾
31-001 カシハラノ ヤホヲヤヱアキ
橿原八年ヲヤヱ、秋
31-002 スベシカド タカクラシタガ
総勅使のタカクラシタが
31-003 ヤヤカエリ ツケモフサクハ
やっと帰ってきて、報告した。
31-004 トミムカシ ミコトオウケテ
「我は以前、詔を受けて
トクニヨリ ツクシミソフモ
弟国(四国)より筑紫の三十二県も
【トクニ】 四国。これを「外国」とか「遠国」とか訳されてもいるが、四国はアマテルカミの弟ツキヨミが治めた国なので「弟国」とするのがよいのではないか。
31-006 ヤマカゲモ メクリヲサメテ
山陰も巡り、治めた後、
31-007 コシウシロ ヤヒコヤマベニ
越後に行きました。弥彦山の辺りに
ツチクモガ フダワルユエニ
土蜘蛛が大勢たむろしていたので
【フダワル】 「フダ」は「(関東・東北地方で)たくさん。十分。」と広辞苑にある。「ワル」は「ハル」の音便として考え、「いっぱいになること」と考えた。
31-009 ホコモチイ ヰタビタタカヒ
矛を使って五度にわたって戦い
31-010 ミナコロシ フソヨヲサムト
全て退治し、二十四県を治めました」と
31-011 クニスヘヱ ササクレバキミ
治めた国の絵図を君に捧げた。君(カンヤマトイハワレヒコ)は
31-012 タカクラオ キノクニツコノ
タカクラシタを紀の国の国造とし
31-013 オオムラジ フソトシサミト
大連の姓を与えた。二十年サミト、
31-014 コシウシロ ハツホヲサメズ
越後が初穂を納めなかったので
31-015 マタムカフ タカクラシタハ
また越後に向かったタカクラシタが、
31-016 タチヌカズ ミナマツロエハ
太刀を抜くことなく、みなを従えたので
31-017 ミコトノリ タカクラホメテ
君はタカクラシタを褒めて
31-018 クニモリト ヲシテタマワル
国守に取り立て、
31-019 ヤヒコカミ ナガクスムユエ
ヤヒコカミという称号を下された。そして越後に長く住むことになるので
31-020 イモトムコ アメノミチネオ
タカクラシタの妹の婿のアメノミチネを
31-021 クニツコト キノタチタマフ
紀の国の国造とし、紀の国の館を下された。
フソヨトシ キミヨツギナシ
二十四年、君には世継ぎとすべき皇子はいなかった。
【キミヨツキナシ】 29綾本文019に「「トキニタケヒト アビラヒメ メトリウムミコ タギシミミ」とあるように、君タケヒトには、すでに皇子タギシミミがいたが、世継ぎは君の位についてから生まれた皇子がなるのが通例であったのか、この時点では世継ぎとなる皇子がいないということと考えられる。
31-023 クメカコノ イスキヨリヒメ
以前、君がクメの娘のイスキヨリ姫を
31-024 オシモメニ メセバキサキニ
オシモメに召すと、后に
31-025 トカメラレ ユリヒメトナリ
咎められ、イスキヨリ姫はユリ姫と名前を変えたが
31-026 トノイセズ キサキハラミテ
殿居はしなかった。后が身籠り
31-027 アクルナツ カンヤヰミミノ
翌年の夏に皇子カンヤヰミミを
31-028 ミコオウム イミナイホヒト
産んだ。諱はイホヒト。
31-029 フソムフユ マツリミユキノ
二十六年の冬、祭りのため
31-030 ヤスタレニ カヌカワミミノ
ヤスタレに行幸した時、皇子カヌカワミミが
31-031 ミコウミテ イミナヤスギネ
生まれた。諱はヤスギネ。
31-032 サミヱナツ ヤヒコノホリテ
サミヱの夏にヤヒコが宮に上って
31-033 ヲカムトキ アメノサカツキ
君を訪ねた時、君から酒をすすめられ
31-034 カツイタル スメラギトワク
盃を重ねた。その時皇が聞かれた。
31-035 ムカシヱズ イマノムイカン
「汝は、昔は飲めなかったのに、今は飲めるがどうしてかね」。
31-036 ソノコタエ ワカクニサムク
その答えは「我が越の国は寒くて
31-037 ツネノメハ オノヅトスケリ
いつも飲んでいたので、自然に好きになりました」。
31-038 キミヱミテ ナンチハミキニ
君は笑って「汝は酒を飲んで
ワカヤギツ サカナニタマフ
若やいでいる。酒を飲む時の話し相手に
【サカナニタマフ】 この酒席の「肴」として姫を賜ったように読めるが、後に神武天皇と言われる人の感覚とは思えない。「サカナ」は、酒を飲む時の面白い話題などということから、そういうことをする相手というように解釈した。
ヲシモメゾ ナソナノヲトニ
ヲシモメのユリ姫を授けよう」と言った。年とった夫に
【ナソナノヲトニ】 77歳はこの状況では齢をとり過ぎているように思う。この時代にしては結婚するには歳をとっているというようなことだろう。
31-041 ハタチメト コシニトツギテ
二十歳の姫が嫁いで越の国へ行き
31-042 ヲメオウム サキニサユリノ
男女の御子を産んだ。以前、百合の
31-043 ハナミトテ キミノミユキハ
花見に行幸したとき、君は
31-044 サユカワニ ヒトヨイネマス
サユ川で一夜を過ごした。
クメガヤノ イスキヨリヒメ
クメの家のイスキヨリ姫が
【クメガヤノ イスキヨリヒメ】 「クメの家の」であるから、イスキヨリ姫はクメの娘に間違いない。ところが、古事記では、クメは(大久米となっている)七媛女(7人の乙女)のうちからイスケヨリ姫を天皇にプロデュースしている。姫は「大久米命の黥ける利目(サケルトメ)を見て奇(アヤ)し」と思い、「アメツツチドリマシトトナドサケルドメ(漢字で鳥の名前を連ねている)」の歌を歌うが、大久米の返歌「ヲトメニタダニアワムトワガサケルドメ」(天皇の求愛の意味がある?)に「仕え奉らむ」と天皇を受け入れてしまう。この筋書きとホツマツタヱのそれと読み比べてどちらが「元」の文と思われるでしょうか。
また、古事記ではイスキヨリ姫は初め「ホトタタライスキヒメ」だったが「ホト」(女陰)というのを嫌い後に「ヒメタタライスキヨリヒメ」となったという。それは母親のセヤダタラヒメが美人だったので「美和の大物主神、見感(ミメ)でて、その美人の大便(クソ)まれる時、丹塗矢に化(な)りて、その大便まみれる溝よりながれくだりて、その美人の陰(ほと)を突き」、あろうことか姫はその矢を持って帰り、「床の辺」に置いたら美男子に変わり、その男との間に生まれたのがイスケヨリ姫だったというのである。よりによってホツマツタヱでは剛直な人格者として描かれている大物主が「大便まみれになって姫のホトを突いた」というのだから、その下品さは浮世草子の好色物以下ではないか。是非、格調高いホツマツタヱの文と読み比べていただきたい。
31-046 カシハデニ ミケススムレバ
御膳の席で食事の世話をしていると、
31-047 スメラギハ コレオメサント
君は、イスキヨリ姫をお召しになろうと
31-048 ツゲノミウタニ      
思いを告げる歌を詠われた。
31-049 アシハラノ シゲコキオヤニ
「葦が大変繁っている小屋に
31-050 スガタタミ イヤサヤシキテ
姫の姿を見るだけで何と清々しいことか(さあ、美しい菅の畳を敷いて)
31-051 ワガフタリネン      
吾は二人で夜を過ごしたいものだ」
31-052 コレニメシ ツホネニアルオ
これによって、イスキヨリ姫を宮に召して局にしたのである。ところが
31-053 タギシミコ フカクコガレテ
タギシミコが、姫に深く恋焦がれてしまった。