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直り神、三輪神の綾
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橿原八年ヲヤヱ、秋
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総勅使のタカクラシタが
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やっと帰ってきて、報告した。
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「我は以前、詔を受けて
弟国(四国)より筑紫の三十二県も
【トクニ】 四国。これを「外国」とか「遠国」とか訳されてもいるが、四国はアマテルカミの弟ツキヨミが治めた国なので「弟国」とするのがよいのではないか。
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山陰も巡り、治めた後、
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越後に行きました。弥彦山の辺りに
土蜘蛛が大勢たむろしていたので
【フダワル】 「フダ」は「(関東・東北地方で)たくさん。十分。」と広辞苑にある。「ワル」は「ハル」の音便として考え、「いっぱいになること」と考えた。
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矛を使って五度にわたって戦い
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全て退治し、二十四県を治めました」と
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治めた国の絵図を君に捧げた。君(カンヤマトイハワレヒコ)は
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タカクラシタを紀の国の国造とし
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大連の姓を与えた。二十年サミト、
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越後が初穂を納めなかったので
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また越後に向かったタカクラシタが、
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太刀を抜くことなく、みなを従えたので
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君はタカクラシタを褒めて
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国守に取り立て、
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ヤヒコカミという称号を下された。そして越後に長く住むことになるので
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タカクラシタの妹の婿のアメノミチネを
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紀の国の国造とし、紀の国の館を下された。
二十四年、君には世継ぎとすべき皇子はいなかった。
【キミヨツキナシ】 29綾本文019に「「トキニタケヒト アビラヒメ メトリウムミコ タギシミミ」とあるように、君タケヒトには、すでに皇子タギシミミがいたが、世継ぎは君の位についてから生まれた皇子がなるのが通例であったのか、この時点では世継ぎとなる皇子がいないということと考えられる。
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以前、君がクメの娘のイスキヨリ姫を
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オシモメに召すと、后に
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咎められ、イスキヨリ姫はユリ姫と名前を変えたが
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殿居はしなかった。后が身籠り
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翌年の夏に皇子カンヤヰミミを
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産んだ。諱はイホヒト。
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二十六年の冬、祭りのため
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ヤスタレに行幸した時、皇子カヌカワミミが
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生まれた。諱はヤスギネ。
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サミヱの夏にヤヒコが宮に上って
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君を訪ねた時、君から酒をすすめられ
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盃を重ねた。その時皇が聞かれた。
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「汝は、昔は飲めなかったのに、今は飲めるがどうしてかね」。
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その答えは「我が越の国は寒くて
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いつも飲んでいたので、自然に好きになりました」。
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君は笑って「汝は酒を飲んで
若やいでいる。酒を飲む時の話し相手に
【サカナニタマフ】 この酒席の「肴」として姫を賜ったように読めるが、後に神武天皇と言われる人の感覚とは思えない。「サカナ」は、酒を飲む時の面白い話題などということから、そういうことをする相手というように解釈した。
ヲシモメのユリ姫を授けよう」と言った。年とった夫に
【ナソナノヲトニ】 77歳はこの状況では齢をとり過ぎているように思う。この時代にしては結婚するには歳をとっているというようなことだろう。
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二十歳の姫が嫁いで越の国へ行き
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男女の御子を産んだ。以前、百合の
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花見に行幸したとき、君は
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サユ川で一夜を過ごした。
クメの家のイスキヨリ姫が
【クメガヤノ イスキヨリヒメ】 「クメの家の」であるから、イスキヨリ姫はクメの娘に間違いない。ところが、古事記では、クメは(大久米となっている)七媛女(7人の乙女)のうちからイスケヨリ姫を天皇にプロデュースしている。姫は「大久米命の黥ける利目(サケルトメ)を見て奇(アヤ)し」と思い、「アメツツチドリマシトトナドサケルドメ(漢字で鳥の名前を連ねている)」の歌を歌うが、大久米の返歌「ヲトメニタダニアワムトワガサケルドメ」(天皇の求愛の意味がある?)に「仕え奉らむ」と天皇を受け入れてしまう。この筋書きとホツマツタヱのそれと読み比べてどちらが「元」の文と思われるでしょうか。
また、古事記ではイスキヨリ姫は初め「ホトタタライスキヒメ」だったが「ホト」(女陰)というのを嫌い後に「ヒメタタライスキヨリヒメ」となったという。それは母親のセヤダタラヒメが美人だったので「美和の大物主神、見感(ミメ)でて、その美人の大便(クソ)まれる時、丹塗矢に化(な)りて、その大便まみれる溝よりながれくだりて、その美人の陰(ほと)を突き」、あろうことか姫はその矢を持って帰り、「床の辺」に置いたら美男子に変わり、その男との間に生まれたのがイスケヨリ姫だったというのである。よりによってホツマツタヱでは剛直な人格者として描かれている大物主が「大便まみれになって姫のホトを突いた」というのだから、その下品さは浮世草子の好色物以下ではないか。是非、格調高いホツマツタヱの文と読み比べていただきたい。
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御膳の席で食事の世話をしていると、
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君は、イスキヨリ姫をお召しになろうと
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思いを告げる歌を詠われた。
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「葦が大変繁っている小屋に
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姫の姿を見るだけで何と清々しいことか(さあ、美しい菅の畳を敷いて)
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吾は二人で夜を過ごしたいものだ」
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これによって、イスキヨリ姫を宮に召して局にしたのである。ところが
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タギシミコが、姫に深く恋焦がれてしまった。