【クメガヤノ イスキヨリヒメ】
「クメの家の」であるから、イスキヨリ姫はクメの娘に間違いない。ところが、古事記では、クメは(大久米となっている)七媛女(7人の乙女)のうちからイスケヨリ姫を天皇にプロデュースしている。姫は「大久米命の黥ける利目(サケルトメ)を見て奇(アヤ)し」と思い、「アメツツチドリマシトトナドサケルドメ(漢字で鳥の名前を連ねている)」の歌を歌うが、大久米の返歌「ヲトメニタダニアワムトワガサケルドメ」(天皇の求愛の意味がある?)に「仕え奉らむ」と天皇を受け入れてしまう。この筋書きとホツマツタヱのそれと読み比べてどちらが「元」の文と思われるでしょうか。
また、古事記ではイスキヨリ姫は初め「ホトタタライスキヒメ」だったが「ホト」(女陰)というのを嫌い後に「ヒメタタライスキヨリヒメ」となったという。それは母親のセヤダタラヒメが美人だったので「美和の大物主神、見感(ミメ)でて、その美人の大便(クソ)まれる時、丹塗矢に化(な)りて、その大便まみれる溝よりながれくだりて、その美人の陰(ほと)を突き」、あろうことか姫はその矢を持って帰り、「床の辺」に置いたら美男子に変わり、その男との間に生まれたのがイスケヨリ姫だったというのである。よりによってホツマツタヱでは剛直な人格者として描かれている大物主が「大便まみれになって姫のホトを突いた」というのだから、その下品さは浮世草子の好色物以下ではないか。是非、格調高いホツマツタヱの文と読み比べていただきたい。