【ワニヒコハ モモコソフホゾ 】
ワニヒコはこのホツマツタヱの28綾までを書いたクシミカタマ。「192歳」という歳が現実でないことは明白。28綾本文432に、アスス50年、タケヒトの后となる妹のタタライスズヒメ姫が15歳の時、ワニヒコは108歳と書かれているが、93歳離れた兄妹となり、この「108歳」も、もっと若かったはずだ。ホツマツタヱにはこのように「あり得ない長寿」が多く書かれている。これは実年齢に、功績があったときに与える「誉め名」のように、「誉め歳」が与えられたのではないかと私は考えている。
ここでは臣であるワニヒコに与えられているが、その多くは皇である。天皇の年齢を「宝算」と言い、広辞苑に「天皇の年齢」とあり平家物語が用例として挙げられている。天皇の歳がなぜ「宝算」なのか。その「算」の意味するものは「加算された歳」すなわち「与えられた誉め歳」ということではないか。日本書紀に、崇神天皇は120歳まで生きたことになっているが、「命短し」と書かれている。これは大水口宿祢が神がかりして言った言葉で、岩波文庫版日本書紀でも「ここに短命というのとあわない」と矛盾を指摘している。しかし、私の計算では崇神天皇は42歳位で没しているが、これは他の天皇と比べて特に「命短し」ということでもない。ではなぜ「命短し」なのか。崇神天皇はヤマトオオコノミタマカミ(日本書紀では「倭大神」)を「慎みいわい」祭らなかったので、この時点では誉め歳が与えられていなかったことを表わしているのではないかと考える。崇神天皇の「120歳」は後に「誉め歳」を加算した「宝算(加算年)」だと考えるのが妥当なのではないか。
それでは、「192歳」はどのようにして出てきたのであろう。
タタライソスズ姫の15歳を正しいとし、その時点でワニヒコはホツマツタヱの前半を書き終えていて、齢の加算があったとしてみよう。ワニヒコの生年がはっきりしないので、いくつ齢を加えたのか判然としないが、加算年齢は108歳であった。
タケヒトはアスス58年に52歳で即位し、その前年のアスス57年にタタライソスズ姫と結婚しているので、タタライソスズ姫は22歳で結婚したことになり、その時点でワニヒコの加算年齢は115歳。
タケヒトは68歳(加算年齢127歳)で没しており、同時に洞に入って没したワニヒコの加算年齢は132歳ということになるはずだが、カヌカワミミは、さらに60歳の誉め歳を加えて192歳としたのではないか。ワニヒコ(クシミカタマ)の功績は、ここで改めて192歳とするだけのものがあったのだろう。