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38-166 ナガサムタ ハバミタアツサ
長さ六咫、幅三咫、厚さ
38-167 ヒトタヰキ スメラギイノリ
一咫五寸のカシハオの石に、君は
トビアガル カレスミヨロシ
飛び乗って祈った。そこで、住吉と
【トビアガル】 この書き方だと、あたかも石が飛び上がったように読めるが、それはあり得ない。私は君が神座とした石に飛び乗ったとした。
【スミヨロシ ナオリカミ モロハノヤシロ】 「モロハ」は二人の直り神のこと。住吉、直り中臣、直り物主の三神の社を建てて、天皇の飛び乗った石を祭ったのであろう。
38-169 ナオリカミ モロハノヤシロ
直り神の社を
38-170 サラニタテ コレマツラシム
新たに建てて、石を祭らせ
38-171 カエモフデ ネツキニイタル
戦いに勝ったお礼に詣でた。十一月に着いた
38-172 カリミヤハ ヒウガタカヤゾ
仮宮は日向のタカヤである。
38-173 シハスヰカ クマソオハカリ
十二月五日に、熊襲への対応を練った時
38-174 ミコトノリ ワレキククマソ
君が言われた。「吾が聞くところによると、熊襲の
38-175 ヱアツカヤ オトセカヤトテ
兄のアツカヤと弟のセカヤという者が
38-176 ヒトノカミ モロオアツメテ
彼らの頭となって、大勢集めて
タケルトス ホコサキアタル
タケルと名乗っている。彼らに歯が立つ
【タケルトス】 「タケル」は「猛き者」という意味の呼称であろう。
38-178 モノアラズ ササヒトトカズ
者がいない。我らも、少しも手が出せず、
38-179 サハナレバ タミノイタミゾ
こんなことが続けば、民も苦しむ。
38-180 ホコカラズ ムケントアレハ
矛の力を借りずに平定したい」と言われたので、
38-181 トミヒトリ ススミテイワク
一人の臣が進み出て申し上げた。
38-182 クマソニハ フカヤトヘカヤ
「熊襲のアツカヤにはフカヤとヘカヤの
38-183 フタムスメ キラキラシクモ
二人の娘がいます。輝くばかりに美しく、その上
38-184 イサメルオ オモキヒキデニ
勇気がある二人を、豪華な土産物で
38-185 メシイレテ ヒマオウカカヒ
招待して、隙をうかがって
38-186 トリコニス トキニスメラギ
虜にしてはどうでしょうか」すると君は
38-187 ヨカラント キヌニアザムク
「よいだろう」と言われた。土産物の衣でだまし、
38-188 フタムスメ メシテミモトニ
二人の娘を召して、傍に置いて
38-189 メグミナス アネノフカヤガ
大切に扱った。姉のフカヤが
38-190 モフサクハ キミナウレヒソ
「君はどうか心配しないでください。
38-191 ハカラント ツワモノツレテ
よい考えがあります」と申し上げ、フカヤは兵士を連れて
ヤニカエリ サケオアタタニ
家に帰り、父に酒をたくさん
【アタタニ】 「あただ」として、広辞苑に「程度のはなはだしいことにいう」とある。
38-193 ノマシムル チチノミヱヒテ
飲ませた。父は飲んで酔い、
38-194 フストキニ チチガユミツル
眠り込むと、父の弓の弦を
38-195 キリオキテ チチアツカヤオ
切っておいて、父のアツカヤを
38-196 コロサシム スメラギアネガ
殺させた。君はフカヤが
38-197 シムタツオ ニクミコロシテ
肉親を殺したのを、恐ろしく思いフカヤを殺した。
38-198 イトヘカヤ ソノクニツコト
妹のヘカヤをその国造とし、
38-199 オヂノコノ トリイシカヤト
叔父の子のトリイシカヤと
38-200 チナマセテ ツクシムケント
結婚させた。君は筑紫の国を平和にしようと
38-201 ムトセマデ タカヤノミヤニ
六年間タカヤの宮に
38-202 オワシマス ミハカセヒメオ
住まわれた。ミハカセ姫を
38-203 ウチサマニ トヨクニワケノ
内妃にした。ミハカセ姫はトヨクニワケ
38-204 ヲミコウム ハハコトトマリ
皇子を産んだ。母と子はそこに留まり
38-205 クニヅコヤ ソナヤヨヒソフ
国造になった。十七年三月十二日、
38-206 コユガタノ ニモノニミユキ
君はコユ県のニモ野に行幸された。
38-207 キオノゾミ ムカシオホシテ
君は東を望んで昔に思いを巡らし
38-208 ノタマフハ ミヲヤアマキミ
話された。「ミヲヤ天君(ニニキネ)が
38-209 タカチホノ ミネニノボリテ
高千穂の峰に登られ
38-210 ヒノヤマノ アサヒニイナミ
日の山(ハラミ山)から昇る朝日に別れを告げ、
38-211 ツマムカヒ カミシモメグム
ハラミ山の妻に向かって別れを告げ、上下に恵みを与える
カミトナル クニノナモコレ
神となられた。国の名前もこのことから日向と呼ばれた。
【クニノナモコレ】 この文の前後に「カミシモ」について書かれているので、「カミシモ」と国の名が関わりありそうに見えるが、「カモ」という国名はない。26綾本文163のニニキネの最期の場面で「ヒムカフクニ」とあり、ここでも「ヒノヤマノ アサヒニイナミ」と書かれている。それから「日向」と呼ばれるようになったということだろう。
38-213 カハカミオ アマネクテラス
上のカは、神が全ての者に恵みを与えること、
38-214 モハシモノ アオヒトクサオ
下のモは、神が民を
38-215 メグマント ナルカミノアメ
大事にするということである。鳴る神の雨が、
38-216 ヨキホドニ ワケテミソロノ
雷と程良く分かれて降るようにし、稲を
38-217 ウルホヒニ タミニギハセル
潤わせて、民の生活を賑わせた
38-218 イサオシハ カモワケツチノ
功績は賀茂別雷神の
38-219 カンココロ カクゾオボシテ
御心であった」このように思われて
38-220 カミマツリ ミヤコノソラオ
神を祭られた。都の空を
38-221 ナカムミウタニ      
眺めて詠われた御歌