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ハシキヨシ ワキベノカタユ
「愛おしい我が家の方に
【ハシキヨシ】 「ハシ(愛し)キ」に間投助詞「ヤ」と強めの副助詞「シ」の付いたもの。
【ワキベ】 明解古語辞典に、出典は日本書紀であるが「ワギヘ」として「我が家」とある。
38-223 クモイタチ クモハヤマトノ
雲が湧き立っている。(あの雄大な)雲はヤマトの
クニノマホ マタタナビクハ
国の偉大さを表している。棚引く雲は
【クニノマホ】 「マホ」は「真秀・真面」(マは接頭語。ホは抜きんでたものの意)(広辞苑)
38-225 アオカキノ ヤマモコモレル
青垣の山々を覆っている。
ヤマシロハ イノチノマソヨ
その山の彼方は我が子の命を育む美しい衣だ。
【イノチノマソ】 「マ」は、美しい、立派ななど、ほめたたえる意を表す。「ソ」は「衣」の意。
38-227 ケムヒセバ タタミコオモエ
曇りの時はただ我が子のことが思われる。
クノヤマノ シラカシガヱオ
香久山の白樫の枝を
【クノヤマ】 何の山か分からないが、私は「(カ)クノヤマ」と読み、ヤマトの聖なる山である香久山とした。
ウスニサセコノコ     
髪に挿して飾り、健やかに育て我が子よ」
【ウスニサセコノコ】 「ウス」は古代、木の枝・葉・花や造花を、冠や髪にさして飾りとしたもの。香久山の白樫の枝を髪に挿すことにどのような意味があるのか不明だが、いずれヤマトの天皇になる皇子の健やかな育ちを願ったものと考えて、意訳をした。
38-230 ソヤヤヨヒ ミヤコカエリノ
十八年三月、都へ帰る途中、
ミユキガリ イタルヒナモリ
巡視のため夷守に行った。
【ミユキガリ】 「カリ」とあるので「巡狩」でもよいが、それは語源が中国語のようなので「巡視」とした。「狩り」の意として、ただの見回りだけでなく、成敗することも含まれているのであろう。
【ヒナモリ】 宮崎県小林市に「夷守」という地名が残っている。
38-232 イワセカワ ハルカニノゾミ
岩瀬川を遥かに望むと
38-233 ヒトムレオ オトヒナモリニ
人が集まっているのが見え、弟のヒナモリに
38-234 ミセシムル カエリモフサク
様子を見に行かせた。ヒナモリが帰って申し上げた。
38-235 モロアガタ ヌシラオホミケ
「多くの県主達が盛大に
38-236 ササゲント イツミメガヤニ
宴でおもてなしをしようと、イツミ姫の家に
38-237 ソノツドエ ユクウヅキミカ
集まっているのです」四月三日に
38-238 クマノガタ オサクマツヒコ
クマの県に行き、長のクマツヒコ
38-239 ヱトオメス ヱヒコハクレド
兄弟を呼んだ。兄は来たが、
38-240 オトハコス トミトアニトニ
弟は来なかったので、君は臣と兄に、
38-241 サトサシム シカレトコハム
弟を諭しに行かせた。しかし弟は来ることを拒んだ。
カレコロス フソカアシキタ
そこで弟を殺した。二十日、芦北の
【アシキタ コシマニテ】 「アシキタ」は熊本県の球磨川が芦北郡に沿って八代海に注いでいるので、ここと思われる。「コシマ」は地理的に考えて「小さな島」ではなく「コシマ」という地名と考える。
38-243 コシマニテ ヒテリニアツク
コシマで日が照り暑かったので
38-244 ミヅオメス ヤマベコヒダリ
君が水を召そうとした。ヤマベコヒダリが、
38-245 ミヅナキオ アメニイノレバ
水が無かったので、天に祈ると
イワカドニ シミヅワキデル
岩角に清水がわき出ていて、
【イワカドニ シミズワキデル】 祈ったから清水が湧いたということはないと考えるので、祈る気持ちで探し当てたのであろう。この場所は現在の熊本県。熊本県は阿蘇山噴火の堆積層による地下水が豊富で、多くの所で湧き水が出ているということから考えると、湧き水を見つけたというのはさほど不自然ではないと考える。
38-247 コレササグ カレニナヅクル
その水を差し上げた。それでそこを
38-248 ミヅシマゾ サツキハツヒニ
ミヅシマと名付けた。五月一日に
フネハセテ ユクヤツシロエ
船を急がせ八代に行った。
【フネハセテ ユクヤツシロエ】 前行の「ミヅシマ」は球磨川河口に「水島」という地名がある。地形の変化や干拓などがあっただろうから断定的には言えないが、一行は球磨川を下り、その辺りから船で、宇城市の不知火町の方に行ったのだろう。
38-250 ヒノクレテ ツクキシシレズ
日が暮れて、目指す岸が分からなかった。
38-251 ヒノヒカル トコエサセトノ
「火の明かりのある所へ目指せ」と
38-252 ミコトノリ キシニアカリテ
君が言われた。岸にあがって
38-253 ナニムラト トエバヤツシロ
何という村かと聞くと、八代の
38-254 トヨムラノ タクヒオトエバ
トヨ村と言うので、火を焚いていたのは誰かと聞くと
38-255 ヌシオヱズ ヒトノヒナラズ
誰だか分からなかった。人が焚いている火ではないので
38-256 シラヌヒノ クニトナヅクル
不知火の国と名付けた。
セミナミカ タカクアガタノ
六月三日、高来県へ
【タカクアガタ】 長崎県諫早市に高来という地名が残っているので、八代から陸路移動して現在の玉名市の海岸まで行き、そこから船で諫早市の高来へ渡り、タマギナ村に行ったと考える。一方、「フナワタシ」を渡船場と考え、「タカクアガタノ フナワタシ」を高来県への渡船場のあるタマギナ村と解釈すると、「タマギナ」と近似の名前の玉名市に行ったとも言えるかも知れない。
38-258 フナワタシ タマギナムラノ
船で渡って、タマギナ村の
38-259 ツチクモノ ツヅラオコロシ
土蜘蛛のツヅラを殺した。
38-260 ソムカニハ イタルアソクニ
十六日には阿蘇の国に着いた。
38-261 ヨモヒロク イヱヰミエネハ
四方は広く、人家が見えなかったので
38-262 ヒトアリヤ キミノタマエバ
「人はいるのか」と君が言われると
38-263 タチマチニ フタガミナリテ
突然二人の者がやってきた。
38-264 アソツヒコ アソツヒメアリ
それはアソツヒコとアソツ姫であった。
38-265 キミナンゾ ヒトナキヤトハ
「君はどうして人がいないと思われたのですか」
38-266 キミイワク タレゾコタエテ
君が「汝は誰なのだ」と聞かれると
クニツカミ ヤシロヤブレリ
「この国の国守です。社も壊れています」
【ヤシロヤブレリ】 この「ヤシロ」は国守の役所・住まいか、神社か。25綾本文226に出てくるタケイワタツの末のアソツヒコが、君の行幸を知り、国の窮状を訴えたのだろう。
38-268 トキニキミ ミコトノリシテ
すると君が社を建てるように言われ、
38-269 ヤシロタツ カミヨロコビテ
新しく社が建った。国守は喜び、
38-270 マモルユエ ヰヱヰシゲレリ
阿蘇の民を守ったので、それから人家がたくさん建った。