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【ツクシチノチノ タカタミヤ】
「ツクシチ」は筑紫路と読み、「筑紫の行幸」と解釈し、「ノチノ」は「最後の」として訳した。日本書紀(岩波文庫版)に「筑紫後国(つくしのくにのみちのしりのくに)」とあり、注釈に「筑後の国」とある。解釈ノート280に書いた位置関係から福岡県高田町(筑後)に「タカタミヤ」があったと考えられる。
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タカタの宮に行った。大きな木が倒れていて
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木の長さは九百七十丈もあった。
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大勢の人が往来する時に次のような歌を歌った。
【アサシモノ…】
この地の人が歌っているのだろう。2行目を「偉いお方は、そんなにして渡らなくても」、3行目を「御食の棹橋は架かっているよ」と訳せないだろうか。「偉い人は、寒い朝に霜が降りて滑る木橋を渡らなくても、食べるものには不自由しない。(うらやましいものだ)」という皮肉を込めた歌とは取れないだろうか。岩波文庫の注には「宮廷寿歌」と書かれているが、私には、朝霜の降りた倒木の橋を渡る歌が寿歌とは思えない。
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前を行く方よ、さあさあ渡らないのですか
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御木の棹橋を」
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君が何の木かと聞かれると、老人が
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「クヌギです。倒れる前は
【キジマネ】
杵島峰。佐賀県武雄市にある標高345メートルの小高い山。日本三大歌垣の一つ。高田からは東西に阿蘇山と杵島山が位置する。
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夕日の影が阿蘇山を覆う
【ミケ】
位置的には三池か。
【ヤツメ】
現八女市辺り。筑後国風土記には「上妻」(カミツヤメ)とあるが、現地名によった。
【マエヤマノアワミサキ】
「マエヤマ」は八女市の御前岳か。ヤマトオシロワケにミヌサルオウミが「ヤツメ姫がいる山」と答えた場所から見え、「まえ」という言葉が共通していること、そして八女津媛神社の神名備山としても考えられることなどから考えた。「アワミサキ」の「アワ」は「淡い」、「ミ」は「御」、「サキ」は「先端」すなわち山の頂と考え、霞んで見える御前岳の頂を尊んでいった言葉と解釈した。
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君が言われた。「山が幾重にも重なり合ってとても美しい。
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何という神がおられるのか」ミヌサルヲウミが
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「ヤツメ姫神が
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峰にいらっしゃいます」と申し上げた。八月に
【イクバムラ】
福岡県うきは市。的(イクハ)村が浮羽となり、現在はひらがなで表記されている。
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御膳役が御皿を忘れて来た。
【ムカシアメミコ】
突然「アメミコ」が出てくるが、誰のことか。ホツマツタヱの記述の中で「アメミコ」に該当すると思われる記述を探すと、29綾本文046「アミコミヅカラ」(タケヒト自ら)、31綾本文170「アマミコガ アメニカエレバ」(アマミコ〈亡くなったタケヒト〉が天に還ったら)、39綾本文317「アメミコノ ヒフガニイマス」(タケヒト君が日向に居られたとき)と、タケヒトが浮かび上がってきた。そこでここの「アメミコ」もタケヒトではないかと考える。タケヒトが九州にいた時の行動が今一つはっきりしなかったが、このことで、各地を行幸していたのではないかと想像することができるのではないかと思う。
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巡視に来られた時、ここで御膳を差し上げましたが
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御膳役がウクハを忘れました。
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こちらの国言葉で御皿をウクハといいます。
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ヰクハも同じです。我が村の名前の由来となった目出度い
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出来事なのです」十九年九月八日、
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君は纏向の宮に帰られた。
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二十年サミヱ、二月四日、
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ヰモノ姫クスコ内御君が
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伊勢の神を祭り、
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筑紫を平定したことを祝った。姫は今年十四歳である。
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今年百八歳になるヤマト姫は
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喜んで、「私は大変齢をとったので
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勤めはもう十分です。私に仕えていた八十人の物部と
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十二司をヰモノ姫に移して
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仕えさせましょう」と言ってヰモノ姫クスコをアマテル神の
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御杖代にした。ヰモノ姫はタケの宮で
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謹んで神に仕えた。
【ウヂハタドノノ イソミヤ】
「ハタドノ」の「ハタ」は「傍、側、端」と読み、タケの宮の傍の磯宮。「イソミヤ」は36綾本文095で、ヤマト姫がアマテル神の御霊笥を遷した磯部。
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磯宮に退いて、静かに
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アマテル神を
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いつまでも祭り続けた。二十五年七月一日、
【ホヅマシルベ】
ホツマの国は勿来以南なので、「ホツマ以北」とした。「シルベ」は「案内すること、手引き、それをする人」ということから、その様子を調べて君に伝えたり、解説したりする任務と解釈した。
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詔があった。タケウチは北より津軽や
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日高見を巡った帰り、香久の館で
【モトヒコ】
37綾本文221に、タジマモリの妻であるハナタチバナ姫の父として出てくる。39綾本文085で相模にいたことが分かる。カグキミ。
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「国を治める祭りの方法は古くから
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神祈り粥の文に書かれています。(神祈り粥の文)