先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
39-229 トキヒコモ オトヒコミタリ
トキヒコとオトヒコの三人には
39-230 ミハタマフ クニヅコヰタリ
御衣を授けた。国造の五人が
39-231 カミノミチ シイテモフセハ
アマテル神の説かれた道を学びたいと強く願ったので
39-232 メシツレテ イタルニハリエ
召し連れて新治へ行った。
ヱミシカラ カゾニシキトハ
蝦夷からカゾ錦を十巻と
【カゾニシキトハ】 「カゾ」は25綾本文224に「カゾミネ」「カゾウオ」、34綾本文149に「カゾミネニシキ」と出てくる。また「カヅ」として24綾本文421に「カヅシマ」「カヅミネヤマ」「カツウオ」、35綾本文021に「カツミネニシキ」と出てくる。これらすべてを「数が多いこと」と解釈したが、ここで「カゾニシキ」の後に「トハ」(10把・10巻)とあるので「カゾ」は「数が多いこと」と訳せない。ここだけは、楮(コウゾ)の別称としての「カゾ(楮)」と解釈し「カゾ錦」という楮で織った織物とした。
ワシノハノ トガリヤモモテ
鷲の羽のトガリ矢百テが
【モモテ】 「テ」はどういう単位か分からないが、本数を言っているのであろう。「テ」を「手」と読めば100本と考えられる。
39-235 タテマツル ミチノクヨリハ
献上された。ミチノクよりは
キカネトヲ クマソヤモモテ
金を十ヲとクマソ矢百本が
【トヲ】 「ヲ」は、この後に「コノユキオモク フモヲアリ」とあるので重さの単位であろう。
39-237 タテマツル コノユキオモク
献上された。この矢のユキは重くて
39-238 フモヲアリ オイテモトムル
二百ヲもあった。背負う者を募り、
39-239 オオトモノ サフライヨタリ
オオトモタケヒの従者四人が
39-240 オイカハリ ツクバニノボリ
代わる代わる背負って筑波に至った。
39-241 キミトミモ ツサヘテイタル
ヤマトタケも臣も筑波山の西南を回り
39-242 サカオリノ ミヤニヒクレテ
酒折の宮に着き、日も暮れてきたのに
タヒオソク シカレバコタエ
松明を持った者が遅れて着いた。タケヒが叱ると、答えて言うには
【タヒオソク】 ユキを背負う者4人のうちに、松明持ちのヒトボシヨスナもいて、ヨスナはユキを次の者に渡した後休んで眠ってしまった。タケヒが歌の才のあるヨスナに歌での挽回を求めたが、ヨスナは今の自分の役目は歌より力を出すことが大事だったと反省の弁を述べた――ここの人物とストーリーの関係が分かりにくいが、このように考える。
39-244 ユキオモク ツカレネフリテ
「ユキが重く、疲れて眠ってしまい
39-245 クレシラズ マタイフヨタリ
日が暮れたのに気付きませんでした」。また責めて「四人が
39-246 アイモチゾ ナンヂバカリガ
同じように持っていたのに、汝ばかりが
39-247 ナドツカル チカライトハバ
何故疲れるのだ。力を出すのが嫌ならば
39-248 ウタオヨメ コタエテカミノ
歌を詠んでみろ」。それに答え「神の
39-249 ミヨハウタ イマハチカラヨ
御代なら歌が大事ですが、今は力を出すのが役目でした」。
39-250 トキニキミ コレキコシメシ
すると、ヤマトタケがそれを聞かれて
39-251 ツズハツネ ウタミニソメテ
ツヅ歌の発句を短冊に書いて
39-252 カエセヨト ナカエタマハル
「返歌を詠みなさい」と従者たちに与えた。
39-253 ニヰハリツ ツクバオスギテ
「新治の筑波を
39-254 イクヨカネツル      
過ぎて、幾夜寝たことだろうか」
39-255 モロナサズ ヒトボシヨスナ
誰も歌が詠めなかったが、ヒトボシヨスナは
39-256 キミノウタ カエシモフサク
ヤマトタケの歌に返歌を差し上げた。
39-257 カガナエテ ヨニハココノヨ
「思えば、昼と夜をあざないながら、夜は九夜
39-258 ヒニハトオカオ      
昼は十日も経ったことよ」
39-259 ヤマトダケ ヒトボシホメテ
ヤマトタケはヒトボシヨスナを褒めて
タケダムラ ホカハハナフリ
タケダ村を、他の者にはハナフリを与えた。
【ハナフリ】 表面に花形の斑紋がみられる純度の高い銀を「花降り銀」という。ここではそれと断定できないが、賃金に相当する物であろう。
39-261 タケヒオバ ユキベオカネテ
タケヒを、ユキ部を兼ねて
39-262 カヒスルガ フタクニカミト
甲斐と駿河の二国の守として
コトオホム キミヤマノヒハ
功績を称えた。ヤマトタケが酒折の宮に滞在している日は
【ヤマノヒ】 酒折の宮はかつて山の中腹にあった。ここでの「ヤマ」はその酒折の宮を指すと考える。
39-264 ユキヤスミ ワガキミニイフ
ユキ持ちも休息を取り、主人のオオトモタケヒに聞いた。
スメラギミ ヤツラハナフリ
「スメラギミは、自分達にはハナフリで
【スメラギミ】 ヤマトタケはここではまだ天皇になっていない。それで、これまで「キミ」と書かれていても「ヤマトタケ」と訳してきたが、会話の中で「スメラギミ」とあるので、ここはそのままの「スメラギミ」とした。
39-266 ソロリニハ タケダタマハル
ソロリヨスナにはタケダ村をお与えになりましたが、
39-267 ナニノコト タケヒノイワク
それは何故ですか」。タケヒが言った。
39-268 ウタノコト マタトフカレハ
「歌が返せたからだ」。従者がまた訊いた。「あの歌は
アワナラズ ナニノウタゾヤ
アワ歌ではありませんでした。何の歌でしょうか」。
【アワナラズ】 アワ歌は五七調で歌われるのに、ツヅ歌は5、4、5、5の19音が基本。
39-270 マタイワク ツズウタムカシ
タケヒが答えた。「ツズ歌というものだ。昔
39-271 サユリヒメ トシソコノトキ
サユリ姫が、お年十九歳の時に
39-272 タギシミコ シタヒコフユエ
タギシ御子が慕って、結婚したいと頼んだので
39-273 ソノチチガ ヨビダストキニ
父親が、姫を呼び出すと、
39-274 ヒメサトリ ノゾクツヅウタ
サユリ姫は何故呼び出されたかを悟り、次のような断りのツヅ歌を書かれた。
39-275 アメツツチトリマス    
『アメツツチトリマス
39-276 キミトナドサケルドメ   
キミトナドサケルドメ』
ソノツズス カゾエテナカオ
ツズ歌は十九音の数のまん中を
【ソノツズス】 すぐ前には「ツヅ」と書かれていて、ここから「ツズ」となっている。表記通り訳すが、意味が違うのではなく、この時代はまだ表記が一定していないための違いであろう。ホツマツタヱ全編を通してみると、その時々の違いだけでなく、時代が進むにつれて用語や表記が変わっていく。後世誰かが書いたものとすると、このようなことはあり得ないように思う。「ス」は「為(ス)」と読み、「そのツズ歌は(以下のように)する」と解釈した。
【カゾエテナカオ】 この例の歌の場合は「キ」。
39-278 ツボカナメ コノウタツツキ
ツボ要と呼ぶ。この歌は続けて詠うこともあり、